小高い丘に200を超える横穴が掘られた「吉見百穴」(吉見町)は、県内随一の謎の遺跡だ。だが、その近くに百穴以上に謎に包まれたオブジェクト(構造物)がある。「巌窟(がんくつ)ホテル」。いかつい名前をしたホテルなのかと思いきや、宿泊はできない。では、いったい何なのか。
吉見町の市野川沿い、百穴に向かう道を進むと右手に草木が生い茂り、フェンスに囲まれた一角が現れる。それが巌窟ホテルだ。
しかし、草木に覆われて全容は把握できない。近寄って奥の切り立った岩壁に目をこらしてみると、バルコニーとおぼしき手すりが付いた穴が見える。劣化は進んでいるものの、往時を十分にしのばせる。
ふと道を挟んで反対側に目を向けると、「巌窟売店」の文字が見えた。うどんやそばを食べながら、巌窟ホテルの写真や資料が見学できるお店だった。
資料によると、巌窟ホテルは農家の高橋峰吉が明治37年から岩壁を掘って作った人工の洞窟だという。亡くなるまで約20年にわたって鑿(のみ)1本で1日30センチを丁寧に掘り進め、1、2階の総延長が100メートル余りの人工洞窟を作り上げた。岩を掘る峰吉を見た人が「巌窟掘ってる」と言ったのが転じて「巌窟ホテル」と呼ばれるようになったそうだ。
峰吉の死後も、2代目の泰次が作業を続けた。中央大広間に科学実験室…。全て岩を掘り出して生み出された不思議な空間は、百穴顔負けの観光名所となる。ところが、昭和後期に台風に見舞われて岩壁が崩落したことなどから3代目の良則さん(78)が閉鎖を決めた。
それにしても峰吉は何を思って掘り始めたのか。良則さんの妻、静さん(76)は「百穴を見て自分も掘れると考えたのかな」。
かつて峰吉はその理由をこう語っている。「何等功利上の目的はなく、唯純粋な芸術的な創造慾の満足と、建築の最も合理的にして完全なる範を永く後世の人士に垂れんが為…」。これだけは言える。1人の農民の血と汗の結晶は、情熱ほとばしるアートピース(芸術作品)へと昇華した。
巌窟売店は現在、静さんの息子夫婦が切り盛りする。「もし、巌窟ホテルに本当に泊まれたら…」というコンセプトで作った名前入りタオルなどのお土産も販売している。「先祖がなしたものを絶やしてはいけない」(静さん)。巌窟売店は今日も巌窟ホテルを語り継ぐ。(中村智隆)
県内には知られざる、知れば心が躍る、怪しくも楽しいスポットがたくさんある。強烈なインパクトを放つ観光地に激しい個性を持つお店、果ては妖怪伝説のある土地まで…。「珍奇な旅」を提案します。