生きている山本五十六(1)「こりゃ、えらい人だゾ」2022/10/8 10:00有料プラン記事月刊「丸」あの戦争から今へ反応艦橋に立ち前方を凝視する山本五十六連合艦隊司令長官(月刊「丸」・昭和41年4月号収載)関東大震災のあった大正十二年の初冬、元帥はちょうど外国出張から帰られた直後に、隊付として霞ケ浦航空隊(霞空)に着任された。大佐に進級されたばかりの時で、青年将校のような若さと元気とを持っておられた。この山本五十六大佐が、霞空の教頭兼副長となられることになったのであるが、そのころの航空隊幹部は、いわゆる航空出身者か、航空に関係のあった人ばかりで、なんらの航空臭もない人が、教頭副長になられることはなかったようだった。