スポーツ茶論

忘れられた「天才少年」の育成に学ぶ 北川信行

ジローナ戦の後半、チーム5点目のゴールを決めるレアル・ソシエダードの久保(右)=ジローナ(共同)
ジローナ戦の後半、チーム5点目のゴールを決めるレアル・ソシエダードの久保(右)=ジローナ(共同)

サッカーの「天才少年」。思い浮かぶ選手は誰だろう。今なら、ワールドカップ(W杯)カタール大会の日本代表メンバー入りが期待される久保建英(たけふさ)(レアル・ソシエダード)が最も有力な気がする。ひと昔前の小野伸二(北海道コンサドーレ札幌)も、そう呼ばれていた。さらに歴史をさかのぼると、ある人物にたどりつく。佐々木博和さん。日本代表が1968年のメキシコ五輪で銅メダルを獲得したことなどにより、少年サッカーブームが巻き起こった時代の話である。

巧みなボール扱いや軽やかなドリブル技術が小学生のころから注目され、少年時代に大阪選抜の一員として参加した練習試合で、来日していたサッカーの王様ペレに認められた逸話を持つ。高校卒業後は、ガンバ大阪の前身の松下電器産業サッカー部やヴェルディ川崎(現東京ヴェルディ1969)でプレーし、日本代表入りもしたが、Jリーグ出場は19試合どまり。サッカーを取り巻く環境が格段に整備された今なら、もっと輝きを放てたのではないかと思う。

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佐々木さんの話を持ち出したのは、知り合いの関西クラブユースサッカー連盟会長、宮川淑人(よしと)さんからいただいた驚愕(きょうがく)の資料を紹介したいと思ったからだ。宮川さんは69年から大阪府枚方市で活動している街クラブの名門「枚方フットボールクラブ(枚方FC)」のチェアマンで、佐々木さんが少年時代に所属していたのが枚方FCだった。

資料は枚方FC創設者の近江達(すすむ)さんが試行錯誤を重ねながら考案した指導法などを要約して70年代初めに出版した内容に、クラブの公式サイトなどにその後も連載し続けたコラムを加筆し、まとめた「サッカーノートⅡ」。京都大学医学部を卒業し、外科医として働きながらサッカーに携わり、枚方FCを立ち上げた近江さんは佐々木さんという「天才少年」を育むとともに、半世紀後の今も色あせない革新的な指導を行っていた。正直、初めて資料に目を通した際には「根性論が全盛の昭和の時代に、子供たちの自主性を尊重し、遊びながら学ばせる考え方が存在していたのか」と驚かされた。

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「サッカーノートⅡ」の文言を拾っていく。「天才佐々木を私が熱心に教えて育てたという記事は誤りで、ほとんど教えていないのです」と打ち明けた近江さんは、レベルアップを図るため、ルールを決め、その中で自由にプレーさせる練習法を実践。取り入れた理由を「普通、叱(しか)って直そうとするが、叱ると選手は叱られないようにしないといけないと思いながらプレーするので、うまくプレーできない。ルールだと、そういうことに関係なく集中でき、やる気になり、自由に考えて工夫するので力がつき、精神面も成長する」と解説する。

その上で「特異な才能は自由にプレーさせないと、才能があることさえわからない」「天才タイプは全国に何人もいるはずだが、指導者次第で運命が決まる」「教育は底辺を上げて多数の凡人を向上させるが、天才を凡人に変える恐れがある」「指導者が欲しいのは自分の方針に合う選手で、合わないと天才でも要らない。変わっているから天才なのに、疎外したり、同化させたりするので天才ではなくなってしまう」などと訴える。サッカーにとどまらず、日本の教育の根本に関わる指摘ではないだろうか。大人の社会にも通じる気がする。

教えを受け継ぐ宮川さんは「温故加新」が大事だという。知新ではなく加新。先達の思想を大切にしながら、時代に合った新しいものを付け加えていく。この言葉も、社会性があるように思う。

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