住民万感…「秘境路線」JR只見線奇跡の復旧

会津川口駅に入る列車を出迎える地元の人や駅員ら=1日午前、福島県金山町(鴨川一也撮影)
会津川口駅に入る列車を出迎える地元の人や駅員ら=1日午前、福島県金山町(鴨川一也撮影)

四方を山々に囲まれた過疎の町が歓喜に沸いた。道路網の発達で鉄道離れが加速し、近年は被災した赤字ローカル線のバスへの転換も珍しくないが、JR只見線は1日、豪雨災害による不通から奇跡の復活を遂げた。「只見線の復旧を望むたくさんの人の熱い思いがあって、この瞬間を迎えることができた」。鉄路の存続を求めて署名を集め、地元とJRの橋渡し役を務めてきた女性は一番列車を万感の思いで見送った。

満員の上り一番列車が到着したJR只見駅(福島県只見町)のホーム。国鉄時代の車両が染め抜かれた法被姿で手を振る女性がいた。只見線グッズの企画・販売や観光ガイドを務める酒井治子さん(41)だ。父親は只見線の保線を担当していた国鉄職員。「小学校ではよく校舎の2階から只見線の列車を眺めていた」と振り返る。

関西の大学に進学後に帰郷。地域振興の任意団体を経て、只見駅構内の観光案内所で地元の観光PRなどに携わり「仕事を通じて古里の良さを再認識した」。

平成23年3月、東日本大震災と東京電力福島第1原発事故が発生し、福島県の中通り・浜通り地方が被災。「会津が福島県を引っ張って行く」。そう心に誓った矢先、奥会津を豪雨災害が襲った。3本の橋梁(きょうりょう)が流される甚大な被害を受けた会津川口-只見間は復旧の見込みが立たず、父親が日夜守ってきた奥会津の鉄路が存続の危機にひんした。

JR只見線の復活に尽力した酒井治子さん。国鉄車両が描かれた法被を着て一番列車を見送った=1日午前7時12分、福島県只見町(大竹直樹撮影)
JR只見線の復活に尽力した酒井治子さん。国鉄車両が描かれた法被を着て一番列車を見送った=1日午前7時12分、福島県只見町(大竹直樹撮影)

沿線は日本有数の豪雪地帯。福島、新潟県境付近は毎年、只見線と並行する国道252号が雪に閉ざされ、通行止めとなる。

「厳しい自然環境で暮らしていくために欠かせぬライフラインをなくすわけにはいかない」

鉄路復旧を求める署名、要望活動に加わると、都市部のイベントやブログを活用して活動の輪を広げていった。応援の手紙が全国から届き「地元が思っている以上に只見線は魅力のある路線だった」と気づいた。

復旧にかかった約90億円のうち3分の2を県と沿線自治体が負担。上下分離方式では線路などの維持管理にも公金が投入される。「お祝いムード一色とは思っていない。皆さんの税金を有効に使わないといけない」と表情を引き締める。

只見線地域コーディネーターとして沿線の魅力を発信している酒井さんは「日本の鉄道は明治の近代化に合わせ発展してきた。開業150年を迎える時期に只見線が復活できたのも何か運命のようなものを感じる」と語ると、こう続けた。「只見線はきょうから再出発。地元住民も責任を持たなければいけない」

JR只見線、11年ぶりに復旧

会員限定記事会員サービス詳細