やわらかかった猪木氏の手 物静かだったその素顔

猪木事務所主催の忘年会に出席したアントニオ猪木氏=平成27年12月28日、東京都内(猪木氏の妻、田鶴子さん撮影)
猪木事務所主催の忘年会に出席したアントニオ猪木氏=平成27年12月28日、東京都内(猪木氏の妻、田鶴子さん撮影)

79歳の生涯に幕を閉じた元プロレスラーで日本維新の会などで参院議員を務めたアントニオ猪木氏。「元気ですかーっ」と大きな声で叫ぶ気合の入った姿が印象的だが、猪木氏周辺によると、プライベートでは口数は少なく、寡黙なことが多かったという。人の悪口はほとんど言わず、笑みを絶やさない、おおらかな人だったと語る関係者は多い。(坂井広志)

「プロレスファンから見れば神的な存在ですが、実際に会うといやな威圧感はなく溶け込みやすい人柄でした。飲みにいったときはどしっと構えて、みんなが楽しく飲んでいるのをにこにこしながら見ていたのが印象的でした」

猪木氏に近いある国会議員秘書はそう証言する。

事実、猪木氏が平成19年に出版した著書『猪木語録』(扶桑社)には「俺は人が喜んでくれるのが、生きがいというか喜び」と書いている。

プロレスファンでもある筆者は猪木氏が参院議員だった平成27年12月、東京都内で行われた猪木氏を囲む、事務所関係者の忘年会に参加したことがある。猪木氏がしゃべることはあまりなく、終始にこにこしていた。

筆者が会場となった飲食店にかけつけると、猪木氏はいつもの赤いマフラーを首にかけ、すでに食事をしていた。猪木氏のことを愛してやまず、その後妻になった故・田鶴子(たづこ)さんが「写真撮らなくていいの?」と声をかけてくれ、田鶴子さんが筆者を入れて撮ってくれた。

田鶴子さんといえば、猪木氏への依頼ごとは基本的に彼女を通さなければならないほど、猪木氏の身の回りの世話を取り仕切っていた。田鶴子さんに嫌われると猪木氏に会うことができない-。そんな声はプロレス関係者の間にもあった。

それほどまでに田鶴子さんは猪木氏を愛していた。ある永田町関係者は「愛情の裏返しとして、猪木氏への独占欲は強かった」と語る。猪木氏はその愛を受け入れていた。

忘年会では猪木氏から出席者へのクリスマスプレゼントが用意されていた。司会者が「サインほしい人いますか」と聞くと、事務所関係者ばかりだったせいか、誰も手を挙げず、一瞬静かになった。そのすきをつき、筆者は「はい!ほしいです」と言って、手を挙げた。すると、猪木氏はうれしそうに顔をくしゃっとさせて、手で招いてくれた。

サインをもらう際、握手をした。手は非常に大きく、意外なことにとてもやわらかく、ふわっとしていた。その感触は今でも覚えている。

「猪木氏の本名は『猪木寛至』だが、ファンのために24時間『アントニオ猪木』でいなければいけないというプロ意識がある」

あるプロレス関係者はこう語る。筆者が見た物静かな様子は、猪木寛至だったのかもしれない。

田鶴子さんが亡くなったのは令和元年8月27日。2人は天国で再会していることだろう。

アントニオ猪木氏死去

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