アントニオ猪木氏死去

アントニオ猪木氏
アントニオ猪木氏

元人気プロレスラーで参院議員も務めたアントニオ猪木=本名・猪木寛至=氏が死去したことが1日、分かった。関係者が明らかにした。79歳。葬儀は未定。

昭和18年、横浜市生まれ。少年時代にブラジルに移住したが、35年、ブラジル訪問中の力道山にスカウトされて帰国し、プロレスラーとしてデビューした。同じ力道山の弟子であるジャイアント馬場とプロレス界の両雄として活躍した。

46年、新日本プロレスを立ち上げ、社長に就任。51年には「格闘技世界一決定戦」と銘打ち、ボクシングヘビー級の世界チャンピオン、モハメド・アリとの異種格闘技戦を東京・日本武道館で開催。世界の格闘技ファンの注目を集めた。後にアリから健闘をたたえてテーマ曲「アリ・ボンバイエ」を贈られ、猪木氏はこれをアレンジした「炎のファイター」を入場曲して使用するようになった。

平成元年にスポーツ平和党を結党し、「国会に卍固め、消費税に延髄切り」をキャッチフレーズに参院選に比例代表で出馬。約100万票を得て初当選し、レスラーと二足のわらじで活動した。2期目を目指した7年参院選では落選した。10年、プロレスラーとしての引退試合を開催した。

25年、日本維新の会から参院選比例で2度目の当選を果たし、国政に復帰。維新分党に伴って石原慎太郎元東京都知事系の「次世代の党」に移り、その後、無所属で活動した。令和元年参院選には高齢を理由に出馬せず、政界を引退した。

議員時代の平成2年、飛行機をチャーターして湾岸戦争下のイラクに入国し、イラク側と交渉し、日本人全員を含む人質の解放につながった。北朝鮮への訪問歴も多く、25年には要人との会談やスポーツ交流のため参院の許可を得ずに訪朝し、30日間の登院停止の処分を受けた。国会では、プロレスラー時代からのキャッチフレーズ「元気ですか!」を叫んでから質疑に入った。

昨年1月から腰の治療のため入院し、その後腸捻転を発症し手術を受けていたことを自身のユーチューブチャンネルで公表していた。



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