写真で振り返る「燃える闘魂」 アントニオ猪木氏死去

異種格闘技戦 ムハマド・アリ(左)を攻めるアントニオ猪木 =1976年6月26日、東京・日本武道館
異種格闘技戦 ムハマド・アリ(左)を攻めるアントニオ猪木 =1976年6月26日、東京・日本武道館

元人気プロレスラーで参院議員も務めたアントニオ猪木=本名・猪木寛至=氏が1日午前7時40分、心不全のため自宅で死去した。79歳だった。横浜市出身。

中学の時にブラジルに移住。遠征した力道山の目に留まり、17歳で日本プロレス入団。力道山の死後、ジャイアント馬場とのコンビでプロレス人気を復活させた。72年に新日本プロレスを設立。「燃える闘魂」のキャッチフレーズで昭和、平成のブームをけん引した。

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76年にはプロボクシング世界ヘビー級王者のムハマド・アリ(米国)との大一番を実現させた。この試合は〝世紀の大凡戦〟と酷評されたが、「アリと闘ったプロレスラー」として世界的な知名度につながった。おなじみの「元気ですか!」「1、2、3、ダー!」のフレーズで日本国内でも幅広く親しまれた。

89年にスポーツ平和党を結党し、「国会に卍固め、消費税に延髄切り」をキャッチフレーズに参院選に比例代表で出馬。約100万票を得て初当選し、レスラーと二足のわらじで活動した。2期目を目指した95年参院選では落選した。98年、プロレスラーとしての引退試合を開催した。「踏み出せば、その一足が道となり、その一足が道となる。迷わず行けよ、行けば分かるさ」。引退スピーチで朗読した詩は、体当たりの挑戦を続けた猪木さんの生きざまそのものだった。

2013年、日本維新の会から参院選比例で2度目の当選を果たし、国政に復帰。維新分党に伴って石原慎太郎元東京都知事系の「次世代の党」に移り、その後、無所属で活動した。2019年参院選には高齢を理由に出馬せず、政界を引退した。

議員時代の1990年、飛行機をチャーターして湾岸戦争下のイラクに入国し、イラク側と交渉し、日本人全員を含む人質の解放につながった。北朝鮮への訪問歴も多く、2013年には要人との会談やスポーツ交流のため参院の許可を得ずに訪朝し、30日間の登院停止の処分を受けた。

20年に心臓の病気「心アミロイドーシス」を患っていることを公表。動画投稿サイト「ユーチューブ」で闘病の様子を配信した。今年6月には新型コロナウイルスに感染したことも明らかにした。



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