毒舌で「笑点」牽引、親しまれた「楽さん」 死去の三遊亭円楽さん

亡くなった桂歌丸さんについて語る三遊亭円楽(後列左から2人目)と笑点のメンバー=2018年7月、後楽園ホール(撮影・長尾みなみ)
亡くなった桂歌丸さんについて語る三遊亭円楽(後列左から2人目)と笑点のメンバー=2018年7月、後楽園ホール(撮影・長尾みなみ)

40年名乗った「楽太郎」の初名になじみがある人も多いだろう。30日に亡くなった落語家の三遊亭円楽さんは、20代から「笑点」と共に歩み、キレのある回答で番組を半世紀近く牽引(けんいん)してきた「笑点のオピニオンリーダー」だった。

東京・両国出身の下町っ子で、小学校のバス旅行で「ガマの油」を披露するなど大の落語好き。落語研究会所属の大学在学中に五代目三遊亭円楽さんのカバン持ちとなり、見込まれて落語の道へ。20代で「笑点」に抜擢(ばってき)された。

大喜利(おおぎり)では先輩たちへの毒舌や社会風刺ネタが話題を集め、特に桂歌丸さんとの掛け合いがお茶の間の笑いを誘った。付いたあだ名は「腹黒」。平成28年、春風亭昇太さんが6代目司会に座った際の会見では「このメンバーの中で、まともなことを言えるのは私だけ。笑点のオピニオンリーダーと呼んでください」と冗談交じりに語っていた。

22年、60歳で三遊亭円楽の名跡を襲名。高座での斬新な演出や構成力に定評があり、「江戸東京落語まつり」などのプロデュースにも力を注いだ。講演の場では「笑い」の大切さを説き続けるなど、落語界以外の場でも活躍していた。

一方、近年は病魔との戦いでもあった。30年に肺がん、令和元年には脳腫瘍と診断。高座や「笑点」の収録を欠席したものの、復帰後は病気ネタを逆手にとり笑いを誘っていた。

笑点での役割は「腹黒」「油断ならない男」。しかし、師匠の五代目急逝時は誰よりも泣き、「最後の父親」と呼んだ歌丸さんの体調を人一倍気遣った。取材で口ぐせのように繰り返していたのは、「落語界への恩返し」の言葉。今年8月に高座に復帰してからも、落語にかかわり続ける意欲を口にしていた。落語の普及のために日本中を駆け巡り続けた、決して楽をしない「楽さん」だった。(本間英士)

落語家の六代目三遊亭円楽さん死去 「笑点」メンバー

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