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アルピニスト・野口健<28> 3.5流の登山家「面白いじゃない」

ヒマラヤで(野口健事務所提供)
ヒマラヤで(野口健事務所提供)

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《「登山家として3・5流」「マラソンで言えば市民ランナーレベル」…。登山界の一部から聞こえてくるカゲ口。テレビのバラエティー番組への出演をたたかれたり、ネット上での発言が炎上したりも》

「3・5流…」については誤解もあります。そもそも僕がエベレストに登って、7大陸最高峰登頂の世界最年少記録をつくったとき(25歳)に、ある雑誌から取材依頼があったのです。テーマは「野口健裁判録」(苦笑)。つまり、登山界の中で7大陸…というのは価値があるのか? ないのか? を問いたいらしい。僕は山岳会とは距離を置いて独自の道を進んでいたし、そんな事情を取材で話したら裁判は結局〝無罪〟、「そのやり方は『野口健の表現』として確立している」となったのです。

そのことがベースにあって随分時間がたった後、その雑誌の方がテレビ番組で、メディアの脚光を浴びていた別の登山家を「3・5流」と批判した。そのついでに「野口健も…」とポッと口にされたのが広まってしまったらしい。つまり、僕にとってはすでにカタがついていた話だったのです。

ただね、そういう見方はある意味で面白いとも思います。「山の世界」って一般の人にはなかなか分かりにくい。世界最高峰はエベレスト(標高8848メートル)だけど、登ることが一番難しいというわけでもない。もっと危険な山はあるし、世界で最も多くの登山家が亡くなっているのは日本の谷川岳(同1977メートル)ですからね。

そんなことは一般の人には分からないし、そもそも山の登り方にはいろいろスタイルがあります。登山界で何が一流なのか?といえば、未踏ルートを初登頂したとか、世界的な登山家の賞をもらったとか…であるならば僕が目指している方向性とは違う。だから僕は「3・5流」と言われてもまったく落ち込むことはないし、むしろ面白いと感じたわけですよ。

たとえば、ある登山家は自分が登る映像をネットで流して、山のスペシャリストから「パフォーマンスじゃないか」と批判されました。だけど、それを見て「励まされた」「勇気をもらった」という人がたくさんいます。彼は映像を通して〝自分の生き方〟をメッセージとして送っていたのです。それはそれでいいじゃないですか。

《時代の変化も感じている》

広くスポンサーからお金を集めたり、テレビのドキュメンタリー番組をつくったりしたのは(冒険家の)植村直己(うえむら・なおみ)さん(1984年北米マッキンリーで消息不明に)が初めてだと思いますが、そのときも随分批判されたそうです。つまり「冒険をお金で売るのか」と…。

でも、やはりスポンサーがつかないと極地には行けないわけです。それから随分、時間がたって僕もたたかれた。F1のドライバーみたいに服にスポンサーのワッペンをつけたり、テレビのバラエティー番組に出演した登山家はたぶん僕が初めてだったのじゃないですかね。すると「アイツはタレント気取りだ」なんて言われました。

僕はね、山に登ることが目的じゃない。山に登って「表現する」ことが目的なんですよ。つまり山登りを通して「何かを伝えたい」「(他の活動への)アクションを広げたい」と思う。だからこそ、バラエティー番組にも出るんです。

未踏ルートを登ることが一流の証明ならば、そもそも僕は一流を目指していません。「心が躍らない」のです。8000メートル級の高山の未踏ルートに挑むことは命をかけることに他なりません。もしもの場合、僕は「納得して死ねるか」と考えると、納得できませんからね。エベレストや富士山の清掃登山の方がずっと心が躍ります。(聞き手 喜多由浩)

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