海底のレクイエム

トラックの特設輸送艦「愛國丸」

特設運送艦「愛國丸」は、南アフリカ航路向けの新鋭貨客船として大阪商船により建造、昭和16(1941)年8月に就役した優秀船である。その性能を評価され、戦争前半はインド洋で仮装巡洋艦として活動、戦争中期以降は輸送船として行動したが、昭和19(1944)年のトラック空襲で沈没した。

「愛國丸」艦尾付近の全景を上から見る。現代の客船では見られなくなったデザインだが、この当時の商船では普通に見られるもの(戸村裕行撮影、2015年12月)
「愛國丸」艦尾付近の全景を上から見る。現代の客船では見られなくなったデザインだが、この当時の商船では普通に見られるもの(戸村裕行撮影、2015年12月)

ミクロネシア連邦・チューク州。トノアス島(日本名:夏島)東沖、約2キロメートル、水深約65メートル(水底)に特設運送艦「愛國丸」は眠っている。

沈没時に前部船倉に搭載していた魚雷や爆弾が誘爆したため、船首側半分は大破しており形もわからないような状態となっている。

中央構造物後部両舷には対空機銃(25ミリ連装機銃)が残され、内部には洗面所、お風呂、トイレなどがあり、洗面所にはまだ鏡なども残っている。

「愛國丸」は一般のダイバーが行けない大深度に沈んでおり、船内には未だ多くのご遺骨が残る船である。また深場のために危険も多いため遺骨収集も難しく、持ち出す事も固く禁止をされている。

日本から遥か彼方の南洋の海中で、祖国を想い散華されたご英霊と会うたびに、そっと手を合わせ、哀悼の誠を捧げている。

艦尾の砲座に残る10年式12センチ高角砲。駆逐艦の主砲などに使われた平射砲を高仰角砲架に載せた旧式の高角砲であるが、特設艦艇や海防艦の搭載砲として広く使用された(戸村裕行撮影、2015年12月)
艦尾の砲座に残る10年式12センチ高角砲。駆逐艦の主砲などに使われた平射砲を高仰角砲架に載せた旧式の高角砲であるが、特設艦艇や海防艦の搭載砲として広く使用された(戸村裕行撮影、2015年12月)
船尾構造物脇の通路を進んでゆく。天井はフレームしか残っていないが、この部分は本来板張りであり、沈没後に木部が腐食して失われてしまったのだろう(戸村裕行撮影、2015年12月)
船尾構造物脇の通路を進んでゆく。天井はフレームしか残っていないが、この部分は本来板張りであり、沈没後に木部が腐食して失われてしまったのだろう(戸村裕行撮影、2015年12月)
「愛國丸」船内の様子。床がシルト(沈泥)に覆われており判然としないが、陶製の機材が見えるので、キッチンか洗濯室なのではないかと推定する(戸村裕行撮影、2015年12月)
「愛國丸」船内の様子。床がシルト(沈泥)に覆われており判然としないが、陶製の機材が見えるので、キッチンか洗濯室なのではないかと推定する(戸村裕行撮影、2015年12月)
船体中央部ボートデッキの後端部分に装備された25ミリ連装機銃。「愛國丸」は25ミリ連装機銃を4基搭載したとされるが、米艦載機の大規模な空襲の前には無力だった(戸村裕行撮影、2015年12月)
船体中央部ボートデッキの後端部分に装備された25ミリ連装機銃。「愛國丸」は25ミリ連装機銃を4基搭載したとされるが、米艦載機の大規模な空襲の前には無力だった(戸村裕行撮影、2015年12月)

水中写真家・戸村裕行

1982年、埼玉県生まれ。海底に眠る過去の大戦に起因する艦船や航空機などの撮影をライフワークとし、ミリタリー総合誌月刊『丸』にて連載を担当。それらを題材にした写真展「群青の追憶」を靖國神社遊就館を筆頭に日本各地で開催。主な著書に『蒼海の碑銘』。講演、執筆多数。(取材協力 ダイビングサービス「トレジャーズ」)

雑誌「丸」
昭和23年創刊、平成30年に70周年迎えた日本の代表的軍事雑誌。旧陸海軍の軍 艦、軍用機から各国の最新軍事情報、自衛隊、各種兵器のメカニズムなど幅広 い話題を扱う。発行元の潮書房光人新社は29年から産経新聞グループとなった 。毎月25日発売。

●月刊「丸」のホームページ

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