話の肖像画

アルピニスト・野口健<27> 先見の明があった「山梨への引っ越し」

山梨県富士河口湖町の事務所前で(喜多由浩撮影)
山梨県富士河口湖町の事務所前で(喜多由浩撮影)

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《新型コロナ禍が起きる前の約4年半前、事務所を東京から山梨県富士河口湖町へ移した。富士山に近い森の中にある明治創立の元小学校校舎。関係者はほぼ全て大反対だった》


富士山の清掃登山を始めたころ(平成12年)からずっと考えていたんですよ。東京にいると、どうしても(清掃登山の関係者と)距離感ができてしまう。いつかは山梨に事務所を移したい、って。いざ移転となると、いろいろと難しい問題もあったのですが、もう20年近くも地元との関係を築いてきましたので、そろそろいいじゃないか、と考えたのです。

富士山の清掃にメドをつけたい気持ちもありました。僕らが活動を始めてから、おかげさまで登山者や観光客、関係者の環境問題に対する意識が飛躍的に高まり、現在は5合目より上のゴミはぐっと少なくなりました。だから「あと5年で終わらせたい」と決め、(集中して取り組めるよう)そのタイミングに合わせて、拠点(事務所)も移そうと思いました。

ところが、周囲は大反対。東京に拠点がないと、「仕事が減る」というのです。テレビに出演したり、メディアの取材を受ける機会が減る、打ち合わせにも不便だ…などなど。

まぁ、確かにそういうマイナス面もあるかもしれないが、試しに一度やってみようじゃないか。明治時代に建てられた学校の雰囲気がすっかり気にいっていましたしね。もしもダメならまた(東京へ)帰ればいい、という気持ちでした。


《廃校の事務所は木造の2階建て。当時の造りそのままで、事務所に使っている部屋には黒板も残されている。夏は涼しいが、冬は氷点下まで冷え込むことも。野口さんは都会と行ったり来たりで事務所に通ったが、コロナ禍で状況は一変》


移転して約2年後にコロナ禍がやってきて、世の中の状況がガラッと変わりました。テレワークやリモートワークの動きが広がり、都心のオフィスはガラガラに。僕も、あのまま東京にいたら事務所を畳むことになったでしょうね。何しろ、ここ(富士河口湖町)の家賃の1年半分が東京ではたった1カ月分にしかならないのですから。

驚いたのはある日、大手芸能事務所の会長さんが訪ねてきたことでした。「いよいよ(芸能界に)スカウトに来たか?」と思いきや(苦笑)、近く本社などを移すために、この辺の土地を買いました、というあいさつに来られたのでした。

そのうちにそこの社員がどんどん移ってきました。もはや拠点が東京である必要がない、というわけです。この間、芸能事務所以外にもかなりの企業が地方へ移ったでしょうね。

僕はといえば、事務所を移転して仕事が減ったことはありませんでした。反対した人たちにこう胸を張りました。「僕は先見の明があったね」


《コロナ禍は今も収まっていない。それは人々の仕事や生活の在り方も大きく変えた》


コロナ禍は不幸でつらいことでしたが、それによって意識が変わったことも多かったのではないか、と思います。

何が何でも東京でなければならない、という「東京一極集中」への意識の変化のほかにも、日本人が日本に目を向けるようになったし、誤解を恐れずに言えば、日本の観光地にとっても、在り方を見直す機会にもなったでしょう。決して悪いことばかりではなかったと思いますよ。日本人というのは〝外圧〟がないと、なかなか変わらないところがある。その意味ではコロナ禍は「大きなショック」ではあった、と思います。(聞き手 喜多由浩)

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