「島根県民の歌」はもう歌えない? 人口90万人から11万人試算の衝撃

昭和26年に作られた島根県民の歌「薄紫の山脈(やまなみ)」は、NHK朝の連続テレビ小説「エール」で登場人物のモデルとなった作曲家、古関裕而(ゆうじ)(1909-89年)の作曲で、3番の歌詞には当時の人口を反映し「九十万の県民」とうたわれている。しかし、人口減少に歯止めがかからず、現在の人口は約66万人。特段の対策を講じない場合、2130年の人口は11万6千人にまで落ち込むと県は試算している。県は「県民の歌の歌詞を変更する予定はない」というが、歌詞と実際の県民数の乖離(かいり)はどこで踏みとどまるのか。

古関裕而が作曲

島根県民の歌は、昭和26年12月、サンフランシスコ講和条約の締結を記念して制定された。作曲は、「オリンピック・マーチ」などで有名な古関裕而が担当。歌詞は一般公募し、県内在住だった元銀行員の米山治(はる)さんの作品が選ばれた。

明るい曲調で、歌詞には島根の山や海の美しさが織り込まれており、県広聴広報課の三原志麻・広報グループリーダーは「県民が心一つにして新しい島根を築いていこうという決意が込められている」と話す。

3番の歌詞には「こゝろ一つにむつびあう九十万の県民の平和の歌は今ぞ湧く」とあるが、「この歌詞には当時の県人口である90万人が一丸となるという気概が込められたもので、作者の意志や当時の状況を尊重する必要がある」と説明。

県民から変えるべきだという機運の高まりもないため、現在のところ歌詞の変更は考えていないという。県では曲を式典で流したり、県庁舎のチャイムに使用したりしているほか、歌詞と楽譜の載ったリーフレットを県内の全中学1年生に配布するなど、普及に努めている。

島根県庁
島根県庁

大正期より少ない人口

島根県の人口は、大正9年に約71万人だったものが、昭和25年に約91万人、30年には約93万人に達し、最盛期を迎えた。

その後、漸減が続き、平成26年には70万人を割った。そして、令和3年は約66万人と大正期よりも県民の人数は少なくなっている。

松江市中心部の商店街で生まれ育った女性(73)は、「子供のころは朝、登校するとき、近所のバス停に多くのサラリーマンが列を作り、満員のバスに揺られて出勤していった」と振り返る。

また、30年以上前は、夏の土曜日には商店街に夜市が立ち、幼かった子供たちを連れて散策するのが楽しみだったというが、「いつの間にか夜市はなくなり、商店街もシャッター通りになってしまった」。かつては、道路をトラックやミキサー車が行きかうにぎやかな街が「今では、介護施設に通う高齢者を乗せるワンボックスカーばかり目立つ」と嘆く。

県政策企画監室の細田智子・政策調整監は、人口の減少が続く背景として、少子高齢化が進み、人口の自然減が続いていることと、就職や進学で県外に出る人が多く、戻ってくる人が少ない社会移動も止まらないことをあげる。

細田さんは「当面は、人口減少が続く見込みです」という。

しかし、県も手をこまねいている訳ではない。

県は令和2年に人口減少に打ち勝ち、笑顔で暮らせる島根を目指して「島根創生計画」を発表した。

平成28~30年の3年間の平均で1・74だった合計特殊出生率を15年後までに2・07まで上昇させ、毎年平均約600人の減少がある人口の社会移動を10年後までに均衡させることを目標として掲げた。

そのために、産業の活性化や結婚・出産・子育て支援、中山間地域・離島の道路や港、空港といった暮らしの社会基盤整備といった対策を講じている。

対策なければ減少加速

創生計画の中で県は将来人口をシミュレーション。特段の対策を講じない場合は、2130年の県人口は11万6千人にまで落ち込むと試算した。

ただ、計画の目標が達成されれば、43万3千人で踏みとどまるという。

細田さんは「あくまでシミュレーションなので、実際の人口が将来どうなるのかは不確定だが、何とかこの目標値に近づけたい」と話す。

広聴広報課の三原さんもいう。「県民の歌の歌詞と人口にギャップがあっても、県民のみなさまに歌い継がれるよう、さまざまな機会を捉え、普及に取り組んでいきたい」(藤原由梨)

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