昭和51年4月、長嶋巨人は〝第2の外国人選手〟の獲得を発表した。左腕のクライド・ライト投手(33)だ。
50年シーズン終了直後、巨人はジョンソンに代わる「打てる内野手」を探し始めた。球団としては当然の補強だ。ドジャースからは13人のリストが送られてきた。だが、どれも帯に短し襷(たすき)に長し。決まらぬままシーズンに入った。
だが、フタを開けてみると、張本の加入で打線が大幅にレベルアップ。心配したジョンソンも好調。逆に投手陣が崩壊寸前。そこで「投手」に切り替えた。
5月6日、ライトが来日した。背番号は「30」。翌7日、多摩川グラウンドでの初練習で得意のスクリューボールなど10種類のボールを披露した。
「大リーグでの100勝はダテじゃない。投球フォームは安定しているし、体も柔らかい。スタミナもありそうだ」と杉下コーチも太鼓判を押した。ところが14連勝のとばっちりで、なかなか「出番」の声が掛からない。毎日、毎日、ランニングばかり。ライトのイライラが募る。
3週間がたったある日、コーチが実戦の勘を取り戻させるために「2軍の打撃投手をやってみないか」と声をかけた。これにライトの怒りが爆発した。
「冗談じゃない! どうしてオレがファームの相手をしなきゃいけないんだ。オレは巨人を助けるために来たんだ。ファームを育てるために来たんじゃない。なぜ、オレを取った。オレに投げさせろ!」
5月29日、大洋11回戦。待ちに待った初登板。ライトの左腕は光った。
◇5月29日 後楽園球場
大洋 000 002 010=3
巨人 000 311 10×=6
(勝)ライト1勝 〔敗〕奥江4勝3敗
(S)高橋2勝1S
(本)王⑮(奥江)
六回に2点を失ったものの5回⅔、4安打2失点で初勝利。「合格です。文句なしです」と長嶋監督を喜ばせた。
試合後、ジョンソンと球場を出たライトを大勢のファンが待ち受け、握手を求めた。ジョンソンは笑顔で応じたがライトは腕を組んで応じない。一緒にいた記者が「なぜ?」と尋ねた。
「この左腕は長嶋さんのもの。きょう1勝したが、巨人が優勝するまでこの腕には誰も触らせない」。ライトとはそんな男だった。(敬称略)