ザ・インタビュー

「魔性」の実像に迫る 成城大名誉教授・石鍋真澄著『カラヴァッジョ ほんとうはどんな画家だったのか』

「芸術家と社会の関係を考える上で、カラヴァッジョは面白いサンプルの一つ」と話す石鍋真澄・成城大名誉教授(三尾郁恵撮影)
「芸術家と社会の関係を考える上で、カラヴァッジョは面白いサンプルの一つ」と話す石鍋真澄・成城大名誉教授(三尾郁恵撮影)

イタリアでバロック美術の礎を築いた革新者でありながら、人を殺(あや)めた無法者…。波乱の生涯とコントラストの強い明暗表現などから、半ば紋切り型に「光と闇」で形容されてきた画家、カラヴァッジョ(1571~1610年)。映画などで描かれてきた通り、破滅型の芸術家像を想起する人は多いだろう。

一方で、対抗宗教改革の時代、描くことで救済を求めた敬虔(けいけん)な画家説、あるいは同時代の物理学者ガリレオ・ガリレイのように合理的精神の持ち主だとする説も。「要するに皆、こうあってほしいという自分のカラヴァッジョ像を描いているわけです。でも、ほんとうはどうだったのか。僕自身が知りたいことは、皆も知りたいのではないかと思ったのが出発点です」

イタリア美術史の泰斗が約4年かけて、天才の実像に迫った待望の評伝だ。

「カラヴァッジョ ほんとうはどんな画家だったのか」
「カラヴァッジョ ほんとうはどんな画家だったのか」

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故郷ロンバルディアの中心都市ミラノで修行後、ローマで活躍し大いに名声を得るも、殺人を犯してナポリ、マルタ島、シチリア島を転々とせざるを得なかったカラヴァッジョ。教皇のゆるしが出たとの吉報を得てローマに帰還途中、熱病に倒れ、38歳の若さで世を去ったとされる。

彼は絵画の傑作を数々残したが、日記や詩、手紙などは一切残していないという。ゆえに、巷(ちまた)に流布する「カラヴァッジョ神話」は主に17世紀に書かれた伝記が元になっているらしい。本書はこうした伝記から最新の研究までを丹念にひも解き、画家が生きた時代と社会、美術をめぐる状況を合わせて解説。その上でカラヴァッジョの人生と作品をたどると、従来像とは違う姿が見えてくる。少なくとも天才画家は「無教養で粗野な男」ではなく、一定の知的環境で育ち、教養あるパトロンや友人の中で己の画才を発揮したようだ。時折のぞく暴力性も、今の価値観で理解するのは早計だろう。

「カラヴァッジョは『魔性の画家』であり、ものすごく奥が深い。材料を集めて思考を尽くしても、彼をめぐる問題について判断するのは、本当に頭がおかしくなるほどの難しさだった。そういうテーマはなかなかない」。充実感とともに、こう振り返る。

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「彼はやはり絵描きなんですよ。絵とはこうあるべきだという自信も知性もあって、同じ物語を描くにしても伝統的図像ではなく意外な場面を切り取ったり、従来にない表現をしたり…。そんな彼の独創性を面白がり評価するパトロンもいたわけです」。さらに当時のローマでは一般市民が絵を売買する美術市場も勃興しつつあり、カラヴァッジョも若い頃に市場向けの作品を描いていたという。「彼の芸術が感じさせるある種の近代性、現代性は、そうした体験や美術動向と関係があるのかもしれない」と見る。

いずれにせよ、モデルを用いた写実描写や劇的な光の表現など、彼がその後の欧州絵画-ルーベンス、ベラスケス、レンブラントら-に与えた影響は計り知れない。

「単なる写実ではなく、カラヴァッジョは人間というものを表現し尽くした。そこに私たちは普遍性を感じ、心をつかまれるのでしょう」

いしなべ・ますみ 昭和24年、埼玉県生まれ。東北大学大学院修了。フィレンツェ大学を経て、成城大教授(現・名誉教授)。『聖母の都市シエナ』(63年)でマルコ・ポーロ賞。『ベルニーニ』『ピエロ・デッラ・フランチェスカ』『フィレンツェの世紀』『教皇たちのローマ』など著書多数。

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