話の肖像画

アルピニスト・野口健<21> 「テント村騒動」は意外な展開に…

熊本地震で車中泊する被災者を収容するテント村を開設した野口健さん(右)と岡山県総社市の片岡聡一市長 =平成28年(野口健事務所提供)
熊本地震で車中泊する被災者を収容するテント村を開設した野口健さん(右)と岡山県総社市の片岡聡一市長 =平成28年(野口健事務所提供)

<20>にもどる

《2015年4月、ヒマラヤにいた野口さんは、ネパール大震災に遭遇する》

標高4500メートルの所にいて、エベレストをめざし、横へ移動(トラバース)しているときでした。突然、衝撃が来て、最初は雪崩かと思ったのですが、さらに体を持ち上げられるような揺れが襲ってきて、「地震」だと分かりました。マグニチュード7・8。ネパールでは81年ぶりの巨大地震でした。

ネパールの村ではレンガや石積みの家が多く、被害は甚大。家を失った人たちのために日本から大きなテントを空輸し、仮設住宅をつくりました。日本で呼びかけた「ヒマラヤ大震災基金」には最終的に約1億3千万円のお金が集まります。「いま早急に必要なのはお金」と感じ、現金で被災者に配りました。ネパールの法に違反したかもしれませんが、判断が間違っていたとは思いません。

《1年後の2016年4月、今度は熊本地震が発生する》

このときの僕は正直、疲れ切っていました。熊本地震? 今度はやらなくていいよな? 自分でそう言い訳をしていましたが、目を覚まさせてくれたのはネパールのシェルパたち。「1年前は日本の皆さんにとてもお世話になった。今度は僕たちの番だ」と、お金を送ってくれたのです。それは、彼らの月収にも相当する額でした。

《野口さんらは同県益城町で被災者の「テント村」設営を思いつく。車中泊などで足を伸ばして寝られない被災者が多かったからだ。収容人数約600人。他の自治体の災害でも支援が可能なユニークな条例を持つ岡山県総(そう)社(じゃ)市の片岡聡一市長、職員も協力に駆け付けた》

被災者の中には「建物(体育館などの避難所)」に入るのが怖いという人もいる。混雑がひどいし、プライバシーもない。そこで「テント村」をやろうと思ったのですが、それからがトラブル続きでした。

ひとつは「責任問題」です。〝得(え)体(たい)の知れない連中(野口さんらのこと)〟や〝よそもの(総社市職員ら)〟が突然やってきて、何か問題(病気や犯罪)が起きたら、いったいだれが責任を取るのか?と。テント村を設置しようとした競技場の管理を任されている組織などから強硬に反対されました。「公平性」の問題を疑問視する声もあった。全員がテント村に入れるわけではないからです。

僕らは、できるだけ快適な空間をつくりたい、と暑さ対策やトイレの改善、医療テントの設置にも取り組みました。お酒が飲める〝バー・テント〟も欲しかったのですが、「飲酒はダメ」だと許可されませんでした。被災者にも娯楽や楽しい時間は必要なんですけどね。

《テント村は多くの被災者に喜ばれた。野口さんはテント村を仮設住宅ができるまでの〝つなぎ〟として中長期的な運営を想定していたが、梅雨を控えて安全面を懸念した行政側によって閉鎖が決定。その後の災害でもテント村はできなかった》

いろんなことを言われました。「テントは暑いから夏はダメ」「降雨で地面がぬかるんだら、どうする?」…いっこうにテント村が広がりません。

それがコロナ禍によって一気に変わったのです。避難所でテントの使用が見直されました。何しろ「感染を防ぐ」という目的が明確でしたからね。これくらいインパクトのある〝外圧〟がないと動かないのかもしれません。今後、避難所の在り方も変わってゆくでしょう。

支援物資を持ってゆくのと、被災者とともに生活するのでは「見える景色」がまったく違う。僕も勉強になりました。(聞き手 喜多由浩)

<22>へすすむ

会員限定記事会員サービス詳細