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アルピニスト・野口健<17> マナスルの村に小学校を、そしてランドセル支援

教育支援を行うネパールの子供たちと(野口健事務所提供)
教育支援を行うネパールの子供たちと(野口健事務所提供)

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《ネパールの子供たちへの教育支援活動は続いた。新たな基金を設け、マナスル(標高8163メートル)山麓のサマ村に小学校をつくるプロジェクトは2010年に校舎が完成した》


マナスルが1956年に世界で初めて日本隊が登頂した〝特別な意味を持つ山〟であることはすでに話した通りです。2006年、それから50周年を記念して、頂上までの登山と清掃登山が行われ、僕は清掃のリーダーを務めました。

サマ村は3600メートル地点にある人口1000人ほどの小さな村。電気は来ておらず、病院もありません。教育施設というと、寺子屋のようなものがあるだけ。読み書きができる人は少なく、僕はここに「学校をつくりたい」と思いました。

というのも、1953年に世界で初めてエベレスト(同8848メートル)に登頂したエドモンド・ヒラリーは、ふもとの村に学校や病院を建てた。ならば日本にゆかりのあるマナスルは「日本人の手」で同じことがやれないか、と考えたわけです。


《ところが、学校建設はなかなか地元住民の理解を得られなかった。その訳は…》


村では子供といえども大切な労働力です。学校へ行けば、その手伝いができなくなる。ネパールには「カースト」の問題もありました。カーストの違う子供たちが同じ教室で机を並べることに拒否感を持つ住民もいた。また、「女の子に教育は必要がない」という考え方も根強く残っていたのです。

それでも僕は学校をつくりたいと思った。教育は子供たちに夢を与え、新たな未来を切り開くと信じていたからです。ただし、反対を押し切って無理やり学校をつくるわけにはいきません。粘り強く、住民と話し合いを重ね、村で清掃活動を続けるなどして、だんだんと僕の考えを分かってもらうようにしました。了解してもらうまで3年くらいはかかったでしょうか。日本でも支援してくれる人がだんだん増えてゆきました。


《昨年にはポカラ郊外に2校目の学校も完成した》


サマ村の学校ができて10年あまり、小学校を出た子供たちが大学へ行ったり、社会人になったりしています。いずれその人たちが医師になって、病院のないサマ村に戻ってきてくれたらいいなぁ、ってね。


《学校という「ハード」の次は、「ソフト」の支援。日本で使わなくなったランドセルをネパールの小学生に贈るプロジェクトも続けている》


ランドセルは両手が空くので山道が多いネパールの子供たちには最適。日本では小学校を卒業したらランドセルは使わなくなる。そんな考えからプロジェクトは始まりました。

日本で募ると、またたく間にたくさんのランドセルが集まりました。これを一個一個、丁寧に梱包(こんぽう)して航空便で送りました。受け取ったネパールの子供たちがどれほど喜んでくれたことか。サマ村から始めたプロジェクトでしたが、「こっちもほしい」「あっちでも…」とエベレスト街道の村の小学校などにも広がって、昨年までに2000個以上のランドセルを贈ることができたのです。

日本でも今では子供たち自身が率先してランドセルを集めてくれるようになりました。これからも続けてゆきたいと考えているプロジェクトです。

うれしいのは学校に行くようになった子供たちが将来の夢を語るようになったこと。

「パイロットになりたい…」

「僕は医者になる!」

子供たちの生き生きした顔をみると、これまでの苦労が報われた気がします。(聞き手 喜多由浩)

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