「即応」という言葉通り、非常事態が起こればすぐに現場へ向かい、対応に当たることが求められる。
令和元年10月の台風19号による大雨や強風で、神奈川県内では死者9人を出したほか、河川の氾濫や土砂崩れなどによる被害が多数発生。出動命令を受け、陸上自衛隊武山駐屯地(同県横須賀市)から道路が寸断された相模原市内の現場に急行し、泥の撤去などに夢中で取り組んだ。
川崎市出身。自身も自衛官に憧れていたという父の勧めで平成6年、陸自に入隊した。高田駐屯地(新潟県上越市)所属の9年には、ナホトカ号の重油流出事故で油の回収などに従事。厳しい生活の中でも人のために頑張る仕事に誇りを感じていたが、11年1月に依願退職した。
3カ月後、民間警備会社に再就職する一方、予備自衛官として再出発を果たす。14年3月、より現場での活躍が期待される即応予備自衛官に志願。新型ウイルスコロナ禍で中止される前の令和元年まで18年連続で、年間30日の出頭訓練に休まずに参加してきた。模範的な姿勢が高く評価され、陸上幕僚長から永年勤続表彰を授与された。
訓練や出動でプライベートが犠牲になることもいとわず、体力維持のため時間を見つけては筋力トレーニングに励む。身をささげられる理由を問うと、「やりがいがあるから」と照れくさそうに答えた。人のためになりたい。その思いは、現役当時と変わらない。(宇都木渉)
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