怖くなかったといえば噓になる。約30年間にわたり、処理してきた不発弾は17万発を超える。国内トップクラスの実績をかみしめながら、「集団任務が多いので、協調性のある素直な人が向いている」と自己分析とともに話す。
高校卒業後に自衛官だった父のすすめもあり、国防の仕事を選んだ。不発弾処理の道を歩み始めたのは24歳のとき。「危険を伴うが、間違いなくやりがいを感じる仕事」と先輩に背中を押された。教育期間中は厳しい叱咤(しった)でくじけそうにもなったが、「高い技術と知識を授けてもらい、今ではかけがえのない財産となった」と振り返る。
沖縄の第101不発弾処理隊に所属していた平成14年、沖縄県庁舎に信管付きの5インチ艦砲弾が誤って持ち込まれた。初めての室内での任務。「絶対に失敗するわけにはいかない」と何度も言い聞かせながら、土囊(どのう)で固定し、特殊な工具を使って信管が作動しないように処理した。作業を終えた約30分後には安堵(あんど)感から全身の力が抜けた。
自身の背中を追い、3人の息子も陸自に入隊。同じ年頃の後進の指導にも当たり、「培ってきた知識や技術を余すところなく伝えてきた」と自信を深める。
北海道出身。幼少期を過ごした熊本の第8後方支援連隊第1整備大隊で今月13日に55歳を迎え、定年退官した。民間企業への再就職も決まり、「今後も地元に役立つ人生を送りたい」と願っている。(植木芳和)
=随時掲載
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災害派遣や国際貢献などで著しい功績のあった自衛官を顕彰する「第20回国民の自衛官」に選ばれた8人2部隊の横顔を紹介する。
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主催 フジサンケイグループ
主管 産経新聞社
協力 防衛省
特別協賛 航空新聞社
協賛 日本防衛装備工業会、防衛懇話会、タカラベルモント、ユニオン、フソー化成