施光恒の一筆両断

「愛子天皇」待望論の危うさ

施光恒氏
施光恒氏

「愛子さまに天皇陛下になっていただきたい」。そのような声を最近、しばしば耳にする。漫画家の小林よしのり氏は以前からこの主張をあちこちで展開している。また、『文藝春秋』の本年7月号でも、歴史学者・小田部雄二氏らの「『愛子天皇』をあきらめない――世界は女王の時代へ。一刻も早い議論を」という鼎談(ていだん)記事が掲載されている。眞子さまのご結婚についての過熱気味だった報道の影響で、世論の一部にも「愛子天皇」を期待する声があるようだ。

私は、愛子天皇待望論には反対だ。皇統はわが国の伝統に従い、男系継承を続けていくことが大原則である。秋篠宮殿下、悠仁親王殿下という皇位継承者がおられるなかで愛子内親王殿下の即位を主張する意見には首をかしげざるを得ない。例えば、上記の『文藝春秋』の記事は率直に言って浅薄だった。題目が示すように、欧州王室で女王が増えつつあるから、わが国の皇室もそれにならうべきだという話がほとんどだった。

皇統の系図をみれば、男系でつないできたのは明らかである(宮内庁ホームページにある系図がわかりやすい)。われわれの先祖は時に苦労して男系継承を守ってきた。いくたびか大きな危機もあった。例えば、第25代武烈天皇から第26代継体天皇への継承である。武烈天皇ののちの継承者がなかなか見いだせず、このときは応神天皇(第15代)まで約200年血統をさかのぼり、越前国三国(現在の福井県坂井市)で暮らしていた子孫を見つけ出し、即位願った。

女性天皇は歴史上8方10代(お二人は2度天皇になられた)存在し、大きな業績を伝える方もおられるが、いずれもしかるべき男系男子への中継ぎ役だった。女性天皇は、どの方も少なくとも即位後は結婚していないし、懐妊もしていない。このことも、男系でつなぐという過去の日本人の意思の表れだと解釈できる。

なぜ、皇位を男系で継承してきたのか。さまざまな要因があるだろうが、その時々の権力者に皇室が政治利用されることを防ぐというものが大きいであろう。外部の男子が皇室に入ることができたとすれば、蘇我、藤原、源、徳川のような各時代の権家(けんか)は競って男子を皇室に送り込んだであろう。そして、もし、その男子と女性天皇との間に生まれた子が皇位を継いだとすれば血統が変わったと、つまり「易姓」があったとみなされてしまい、それ以降、皇統は政治性を帯び、皇室はすべての日本国民に崇敬される対象とはなりえず、その威光は失われてしまったのではないだろうか。明治憲法の制定に大きな役割を果たした井上毅もこのような指摘を行った一人である。井上は次のような例を挙げつつ、女系容認に反対した。例えば、源の某という男子が送り込まれた場合、その男子の子供の世代から易姓が生じたと認識され、「源朝」と目されてしまう恐れがある。そう指摘したのである(「謹具意見」)。

愛子さまのご即位を進める流れが実際に生じれば、国民の間に大きな分断をたびたび生じさせることになるであろう。例えば、即位に際しては、愛子さまではなく、秋篠宮さまや悠仁さまのほうが正統ではないかという声が大きくなるのは間違いない。ご結婚の際もお相手選びだけではなくご結婚それ自体についても、即位後に結婚した女性天皇は歴史上存在しないので大きな議論を呼び起こす。加えて、ご懐妊の際も、またその後の継承に当たっても、同様に議論が巻き起こるであろう。

こうした混乱を招かぬためには、まず国民ひとり1人が皇室についてよく学ぶ必要がある。倫理学者・和辻哲郎がかつて指摘したように、日本の歴史では「国民の統一、国民の総意は、いつも天皇において表現された」(『国民統合の象徴』)。「国民の総意」とは、ある一つの時代を生きる日本国民だけの意思ではない。過去に存在した歴代の日本人の意思も含まれる。われわれは皇室の伝統を学び、先人の思いを汲(く)み取らなければならない。それに基づき、現代の問題に対処し、旧宮家の皇籍復帰などしかるべき手立てをとっていく必要がある。

【施光恒(せ・てるひさ)】 昭和46年、福岡市生まれ、福岡県立修猷館高校、慶應義塾大法学部卒。英シェフィールド大修士課程修了。慶應義塾大大学院博士課程修了。法学博士。現在は九州大大学院比較社会文化研究院教授。専攻は政治哲学、政治理論。著書に『英語化は愚民化』(集英社新書)、『本当に日本人は流されやすいのか』(角川新書)など。「正論」執筆メンバー。

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