AIが生成した画像の著作権は誰にあるのか 創作手段を企業が“管理”する時代に起きること

意図的な制約がもたらすこと

AIを創作に取り入れているアーティストは、現時点では比較的少ない。だが、未来の世代が機械に簡単な指示を与えることを創造性と結びつけ、期待を上回る作品の生成に喜ぶような事態が起きることは容易に想像できる。

公立の学校はすでに教科書をデジタルコンテンツに置き換えている。芸術教育のような教科をまだ残している教育機関は、AIによる画像生成が手ごろな価格で広く使えるようになれば、水彩画の授業の手間と費用を削ってこれを利用したいと思うかもしれない。

OpenAIのようなテック企業が、芸術作品の創作における主要な手段を“管理”する未来が訪れることを問題視すべき理由はまだある。OpenAIは、DALL-Eがディープフェイクやその他の「有害な創作物」の創作に使われることを当然ながら警戒している。そこで同社は「政治的」な内容のものをはじめ、「ショッキング」「性的」「憎悪的」な画像など、さまざまなコンテンツの生成を禁止しているのだ。

偉大な芸術家たちは、ものごとの制約をうまく利用する方法を見つけている。だが、世界にとって重要で主張の強い視覚芸術の多くは、OpenAIのコンテンツの制限下では存在しえない。

例えば、ピーター・ソールのポップでグロテスクな大統領の肖像画は、政治的すぎると判断されるかもしれない。白人至上主義団体「クー・クラックス・クラン(KKK)」との関わりを描いたフィリップ・ガストンの作品は憎悪的、1980年代のエイズ危機の憤りを表したデイビッド・ボイナロビッチの作品はショッキング、南北戦争の暴力を描いたカーラ・ウォーカーの絵のシルエットは性的とみなされるかもしれないのだ。

DALL-Eの視覚表現は意図的に善良な内容に制限されており、それゆえに貧弱である。現時点でのDALL-Eは印象的なおもちゃであって、重要な文化的表現の媒体にはなりえないのだ。

「DALL-E」の名称が象徴する未来

DALL-Eのようなプラットフォームが主流になれば、個人のスタイルの発展を阻むことにもなりかねない。

例えばDALL-Eは、ヨハネス・フェルメールの『真珠の耳飾りの少女』と同じスタイルのラッコや、アンディ・ウォーホルの作風で部屋いっぱいの巨大ナマケモノが鑑賞者に向かって手を振っているような絵を生成できる。だが、DALL-Eはユーザーに、その人ならではのナマケモノやラッコを描く独自のスタイルを教えることはできない。それを見極めることが、すべてのアーティストにとって重要な仕事なのだ。

DALL-Eの名称は、芸術家のサルバドール・ダリとピクサーの映画『ウォーリー』の主人公を思わせる造語だが、まさにぴったりの名前である。ダリは、「夢」という極めて個人的な題材を図像で表現したシュルレアリスムの画家だ。ウォーリーはゴミを圧縮するロボットで、滅びた文明の残骸を処理する日々を過ごしている。 DALL-Eは後者の芸術的な創作様式が前者に勝利したことを象徴しているのだ。

従来の手法を使うアーティストは現時点で、最初から自分の作品の著作権を保持している。ところが、アーティストが自分の作品を「所有」できるのは、気まぐれなテック企業の幹部が目覚めたときに考えを変えなかったおかげだった──。そんな未来がアートの世界に待ち受けているとしたら、わたしたちの文化は非常に困った状況にあると言っていい。

(WIRED US/Translation by Nozomi Okuma)

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