(月刊「丸」・昭和63年6月号収載。筆者は陸軍通訳生)
ソ連側の指示で大隊長、副官と大隊本部要員(炊事係、理髪係その他)がさだめられ、命令・指示は大隊本部を通じて行なわれることとなり、さらに刃物、物を書く物品(万年筆、鉛筆類、紙類)の全部を提出するようもとめられた(もっとも、鉛筆類、紙類はその後、作業割当を作成するため必要となったので返却されたが)。
それと一週間の休暇をあたえるから、その間に便所を掘り、先着部隊の軍医とともに各人の健康診断をソ連軍医より受けること、そして健全な者はソ連の社会主義建設のため協力してほしい、との収容所長(ソ連軍歩兵大尉)からの要請、命令があった。