シベリヤ抑留「ラーゲリ群島」放浪記(1)あれがバイカル湖だ2022/8/23 10:00有料プラン記事月刊「丸」あの戦争から今へ反応関東軍が引き渡した戦車を点検するソ連軍兵士(月刊「丸」・昭和63年6月号収載。筆者は陸軍通訳生)独立混成第八十旅団の兵力を主幹としてハイラル要塞に入り、ともに勇戦奮闘した他部隊将兵、満州国日本人官吏その他民間人の捕虜を日本へ送還するという名目で、千五百名を単位として一個大隊を編成し、その第一次部隊として先発したのは、旅団通信隊長の板垣恭二少佐を長とする部隊であった。原博一旅団参謀の掌握下にあった後続部隊が何日に出発し、どこに連れて行かれたのかは、先発部隊と行をともにした私は、帰国後も昭和五十六、七年ごろまでまったく知らなかった。