日曜に書く

論説委員・斎藤勉 KGBにも「良心」はいた

ソ連国家保安委員会(KGB)元大佐、アレクセイ・キリチェンコ氏(遠藤良介撮影)
ソ連国家保安委員会(KGB)元大佐、アレクセイ・キリチェンコ氏(遠藤良介撮影)

スターリンの悲劇的過ち

ロシアでは詩人・作家として今でも一番人気のプーシキンらが活躍した帝政ロシアの1830年前後を「金の時代」と呼ぶことがある。その伝でいけば、「言論の自由」の「金の時代」は疑いなく、ソ連最後のゴルバチョフ治世に満開となった1980年代後半以降の「グラスノスチ(情報公開)」だろう。その本質は独裁者の恐怖政治を否定する「非スターリン化」にあった。56年のフルシチョフによる「スターリン批判」後の「雪解け」世代の子供たちが大粛清や歴史改竄(かいざん)の真実など国家犯罪の数々を暴露していった。

ソ連が崩壊した91年の正月、モスクワ特派員だった私の元へ『スターリンの二つの悲劇的過ち』と題する「特別手記」が寄せられた。ロシア科学アカデミー東洋学研究所国際協力部長のアレクセイ・キリチェンコ氏からだった。前年からスターリンが北方領土強奪とともに仕出かしたシベリア抑留問題の真相解明に奔走し始めていることは仄聞(そくぶん)していたが、手記の内容は衝撃的だった。

「終戦時、ソ連全土の収容所に囚人があふれていた時になぜ、スターリンは日本の捕虜を必要としたのか」と問いかけ、「それは結局、共産主義というおとぎ話のような社会を世界中に建設しようとしたからだ。しかし、それは偽りであり、偽りの前提に立って建設された体制は崩壊した」と断じた。

その上で「スターリンが犯した、あってはならなかった二つの過ち」を指摘。一つは「粗末な食事や過酷な自然なども労働効率性に影響したが、抑留した日本人捕虜利用は経済的に全く非効率的だったこと」、二つ目は「収容所で日本人捕虜を革命の戦士に仕立て上げようと洗脳教育を行ったが、ほとんどが失敗したことだ」と結論づけた。

さらに衝撃的といえば、キリチェンコ氏がソ連崩壊翌年の92年、自ら「私は86年まで21年間、(ソ連時代の巨大な秘密警察)KGB(国家保安委員会)の要員で、最後は大佐だった」と明かしたことだ。しかも防諜を管轄する「第二総局」の日本担当で、ソ連国内の日本人の動向監視・尾行追跡・摘発が主な工作対象だった。

「非はソ連側にあり」

その裏でソ連が完全にタブー視していたシベリア抑留問題の内部告発を進めていたのだ。

「KGB時代から東洋学研究所時代を通じて、上司の圧力を受けながら、ソ連の不法な対日参戦から生じた北方領土占領もシベリア抑留も非はソ連側にあり、完全に誤りだったと訴えて、裁判も恐れない態度を貫いたと聞いています。キリチェンコさんこそロシアの良心です」

キリチェンコ氏と長年、固い連帯でシベリア抑留問題の究明に取り組んできたロシア専門家、川村秀氏(89)は語る。

キリチェンコ氏はプーチン恐怖体制下でも勇気ある発言を続けた。月刊「正論」(2005年7月号)の『東京裁判へのクレムリン秘密指令』で「ソ連検察団の主要任務は、日本の系統的な侵略の暴露」にあったと、訴追リストに日露戦争やシベリア出兵まで動員した非理を痛烈に批判した。

プーチン政権は北方領土返還交渉を「領土抜き平和条約締結交渉」にすり替え、ウクライナ侵略後は交渉の「中断」を通告してきた。シベリア抑留問題では「国際法には違反していない」と歴史にも稀(まれ)な冷酷さだ。

ガルージン駐日露大使は今月4日、広島の原爆死没者慰霊碑に献花したが、自国の国際犯罪である北方四島強奪とシベリア抑留の膨大な数の日本人犠牲者の慰霊はお忘れなのか。

「日本人に生まれたい」

キリチェンコ氏は13年、人生の集大成ともいうべき『知られざる日露の二百年』を上梓(じょうし)、ロシアの対日政策の誤りを糺(ただ)した。テロの凶弾に斃(たお)れた安倍晋三元首相は同著を贈呈された際、丁寧な礼状を送っている。

ベラルーシ生まれのキリチェンコ氏は、2019年9月25日、心不全のため82歳で世を去った。次女のマリアさんに「生まれ変われるなら日本人で生まれたい。日本こそおとぎ話のような国で、いつまでも滅びないだろう」と話していたという。

日露戦争後の1907年から革命前年の16年まで日露にも「黄金の友好の十年間」(川村氏)があった。今は日露関係もロシアの言論状況も「暗黒の時代」だ。だからこそ、KGBにも日本の歴史の正義に生涯を懸けた「良心」がいた奇跡を忘れまい。(さいとう つとむ)

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