話の肖像画

女優・泉ピン子<20> 内心、穏やかでなかった「私生活ドラマ」

芸術座公演「おんなは一生懸命」では、記者の前で熱のこもった稽古が行われた =平成元年4月
芸術座公演「おんなは一生懸命」では、記者の前で熱のこもった稽古が行われた =平成元年4月

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《平成元年秋、橋田寿賀子ドラマ「おんなは一生懸命スペシャル・結婚」(TBS)で主演をつとめた。故郷に帰らねばならないエリート建築家の男性と、東京生まれの下町のそば屋のおかみの結婚物語で、障害として義実家の存在が大きくクローズアップされる。同年7月に、武本憲重(のりしげ)さんと結婚したばかりの自身の私生活と重なるような内容だったが、脚本の橋田寿賀子さんは『企画はずいぶん前から用意されていて、偶然重なっただけ』と強弁していた》


橋田先生も何を言うのだか、当て書きに決まっているでしょう。どう考えても、これは私がモデルの脚本です。私の家のネタを断りもせずに書いて、本当に…。あの人、よく私の人生をパクるんです。

「義両親に結婚を反対されているから、家の前で正座して許しを請え」と、そういう脚本をあの人は書きました。さすがに、それは書き過ぎだろうと、ちょっと抵抗しました。

石井ふく子プロデューサーは「こうした渦中にあるピン子さんには演じにくいかと思いましたが、さすがプロ。ヒロインになりきって、体当たりで演じている」なんて評価してくれましたが、私の内心は穏やかではありませんでした。

橋田先生は作家だから、ネタになれば何でも書きます。ただ…そういうドラマに出て、私が謝っている姿を役であっても見せれば、実際の夫の実家も態度を軟化させて、結婚を許してくれるかもしれないと、そう考えてくれたのだと、今では思っています。

私だって、もし一人息子が女優と結婚すると言ったら、賛成はしないでしょう。やはり相手は普通の人が良い。たとえ売れっ子の女優でも、お金があれば幸せとも限りませんしね。


《結婚後も女優として順調にキャリアを積んでいき、平成2年には歌手として9年ぶりに新曲を発売した》


タイトルは「駄目な時ゃダメさ」。それまでに歌手として数枚のシングルを出していて、昭和52年のデビュー曲「哀(あい)恋(れん)蝶(ちょう)」は30万枚が売れています。このときはドラマ「花咲け花子」(昭和56年、日本テレビ系)の主題歌である「一番星みつけた」以来のリリースでした。

そのころ、カラオケが大流行しておりましたので、事務所には勝算があって、私を歌わせたのだと思います。

でも、舞台やドラマ出演でスケジュールが埋め尽くされているところに、さらに新曲のリリースですから、正直嫌で嫌で仕方ありませんでした。レコーディングだって、やりたくありませんでした。歌だって、そのときはそんなに好きではありません。カラオケだって、今でもあまり好きではないんです。

聞いてくださった方には本当に申し訳ないのですが、「どうでもいいわ」という投げやりな気持ちで歌っていました。事務所やマネジャーに、嫌だって言っていたのに、話が進んでいくのです。そういうことは少なくありませんでした。


《このころ、中年実業家と密会の噂を立てられ、スポーツ紙を騒がせた》


一体何のことやら、誰のことやら、です。私はもともと、金持ち面した男性は嫌いなので、実業家タイプなんて、絶対に付き合いませんよ。

記事には「医師の夫は自宅に帰らず…」と書いてありますが、これも噓ですよ。あの人は、ずっと家に帰ってきていました。疑ったこともありませんでした。

その夫は、記者に遠くから何か聞かれて、挨拶代わりに手を振ると、「書いてOKということになるらしい」と後日、しみじみ語っていましたね。(聞き手 三宅令)

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