記者発

肝に銘じたい「未来への責任」 関西空港支局長・牛島要平

参院選の投票をする有権者=7月10日午前、大阪市都島区(柿平博文撮影)
参院選の投票をする有権者=7月10日午前、大阪市都島区(柿平博文撮影)

戦後77年の夏、歴史の歯車が音を立てて動いたように感じた。一度は民主主義によって平和のうちに、もう一度は凶弾という暴力によって文字通り轟音(ごうおん)とともに。

7月10日投開票された参院選。衆院解散がなければ今後3年間は国政選挙がないため、国民の意思を直接示す重要な機会だった。関西の選挙区で、ある候補者が街頭で汗だくになって訴えていた。

「今、日本は野球でいえば九回裏2アウトまで追い込まれています。一発逆転は難しいけれども、私たちは決してあきらめない。最後は必ず勝ちます」

30年間も成長していない経済、外資によって進む土地や企業の買収、この瞬間も日本に向けられているかもしれない核ミサイル…。「このままでは日本は中国の植民地になり、みなさんは奴隷にされるんですよ、分かっていますか?」。しかし、全国平均の投票率は選挙区で52・05%。有権者のほぼ半数は投票しなかった。

参院選では野党の多くが消費税の減税や撤廃を主張したのに対し、岸田文雄首相は「減税は考えていない」と明言した。与党勝利で消費税率10%が続き、引き上げもあり得る。その良否はともかく、棄権した有権者も結果を引き受けなければならない。

投票日2日前の8日、安倍晋三元首相が銃撃され死亡するという政治史に刻まれるテロが発生した。かつて「戦後レジームからの脱却」を唱え、退陣後も精力的に活動していた影響力のある政治家を日本は無残に奪われた。

約100年前の大正10年11月4日には、初の本格的政党内閣を率いた首相の原敬が刺殺されている。元老の山県有朋は病床で「ああいう人間をむざむざ殺されては、日本はたまったものではない」と泣き、翌年2月に世を去った。

山県は日露戦争後に「一等国」となった日本が、太平洋を挟んで米国と難しい関係になることを予感していた。強い政治手腕を発揮し、対米協調外交を進めていた原なら、その後の昭和日本がたどった政治の混迷と戦争の運命を変えられただろうか。

私たちはもはや「安倍さんが生きていたら…」などと悔やむまい。日本人すべてが未来に責任を持っていることを肝に銘じたい。

【プロフィル】牛島要平

平成12年入社。大津支局、神戸総局などを経て、大阪経済部でゲーム業界や金融、財界などを担当。令和元年5月から社会部関西空港支局長。

会員限定記事会員サービス詳細