「一柱でも祖国へ」 実現した海外派遣、コロナ禍で苦闘の学生が遺骨収集

沖縄自主派遣で遺骨収集作業を行うJYMAの学生ら=令和2年2月、沖縄県糸満市(神保尚子さん提供)
沖縄自主派遣で遺骨収集作業を行うJYMAの学生ら=令和2年2月、沖縄県糸満市(神保尚子さん提供)

先の大戦において、沖縄や硫黄島(東京)を含む海外での戦没者約240万人のうち約112万人の遺骨が今も現地に残されたままだ。「見過ごしたままにはできない」と自分たちと同じような若さで散った英霊の遺骨収集に強い思いを抱く学生2人が今夏、サイパンで活動している。新型コロナウイルスの感染拡大で活動が国内に限定された2年半を経て、ようやくかなった海外派遣に、「一柱でも多く祖国に戻したい」と意気込んでいる。

まだマスクを着けずに遺骨収集ができたその日のことを、大阪大大学院言語文化研究科の沼野凌子さん(26)は昨日のことのように覚えている。

令和2年2月、学生主体で遺骨収集に取り組むNPO法人「JYMA日本青年遺骨収集団」の一員として初めて行った沖縄での活動最終日。岸壁をくり抜いた旧日本軍の陣地跡で、地面にささった大腿(だいたい)骨を見つけた。手を蚊に刺され、擦り傷だらけになりながら、丁寧に周りの土を取り除いたが、もろくなっていた骨は途中で折れてしまった。

申し訳なさとともに、実際に遺骨に触れたことで「見つけてもらえないままの人たちが今も大勢いる」という現実が胸に迫った。友人に誘われ参加した遺骨収集活動を続けていこうと決めた。

JYMAの自主派遣隊長として遺骨収集作業を行った沼野凌子さん=2月、沖縄県糸満市(沼野さん提供)
JYMAの自主派遣隊長として遺骨収集作業を行った沼野凌子さん=2月、沖縄県糸満市(沼野さん提供)

コロナ禍で海外渡航できず

JYMAに入った学生は、まず沖縄での遺骨収集で経験を積んでから、気候もインフラも異なり、いまだ多くの遺骨が残る外国での活動に向かう。沼野さんも「いずれ外国での遺骨収集に携わりたい」と考えていたが、コロナ禍で海外渡航は停止された。

外国で非業の死を遂げ故郷に戻れない、そんな無念の人たちを祖国に帰したいとの願いを、多くのメンバーが持っている。だがコロナ禍でかなわず、活動をやめた学生もいた。「就職活動を始めなくてはいけないし、外国での活動もできないなら」と目に涙を浮かべながら退団した女子学生の言葉が、3年度の学生代表で国学院大文学部4年の神保尚子さん(22)の胸に残っている。

コロナ禍の中、機関紙の作成や会計業務など、組織運営を維持する作業に忙殺された。「それも大切なことだけど、外国に眠る遺骨を祖国に帰したいという思いをぶつける現場がないのはつらかった」と神保さんは振り返る。

膨れ上がった思いを胸に

ただ、学生たちは悲観してばかりではなかった。コロナ前は、東京で行われていた各地の戦闘状況や戦没者数、遺骨の見分け方などを学ぶ座学や会議が、感染防止のため多くがオンラインとなった。地方の学生が東京に出向く手間や金銭的負担が減り、大阪の学生が募金活動をしたり、九州の学生が特攻部隊の出撃基地などを巡り学ぶ研修を企画したり。それぞれがいる場所でできる新しい活動も生まれた。

「地理的なハンディキャップがなくなった」と奈良県内に住む沼野さんは手応えを語る。こうした取り組みは、学生たちが活動への意欲を保つことにもつながった。

コロナ禍の2年半の間に沼野さんは6回、神保さんは4回、沖縄で収集活動を行い、海外派遣に備えた。ようやく海外での遺骨収集が可能となり、神保さんと沼野さんは今月17日、サイパンへ向かった。

人は肉体が滅んだときだけでなく、存在が忘れ去られたときにもう一度死ぬといわれている。神保さんは「戦いで亡くなった人を忘れることは、その人を二度殺すことになる。もう一度彼らを死なせるわけにはいかない」と力を込める。「限られた時間でどれだけのことができるか。責任の重さを感じている」と語る沼野さんとともに、約5万5千人が亡くなった玉砕の島で、2年半分の思いを込める。(五十嵐一)

遺骨収集事業 先の大戦中に海外で死亡した戦没者を対象とした遺骨収集は、昭和27年度に始まった。平成28年度には収集を「国の責務」とする戦没者遺骨収集推進法が施行され、令和6年度までを集中実施期間としたが、新型コロナウイルスの感染拡大で2~3年度は活動が沖縄県などに限定された。厚生労働省によると、未収容(帰還)の遺骨約112万柱のうち、海に眠る「海没」などを除き約59万柱が収容可能とされる。

会員限定記事会員サービス詳細