石田三成の城の外堀か 大規模な溝見つかる 滋賀・彦根

佐和山城跡から出土した外堀の遺構=滋賀県彦根市
佐和山城跡から出土した外堀の遺構=滋賀県彦根市

豊臣秀吉(1537~98年)の家臣、石田三成(1560~1600年)らが居城とした佐和山城(滋賀県彦根市)で、城下町を城郭の一部に取り込んだ「惣構(そうがまえ)」の外堀とみられる溝を発見したと県文化財保護協会が18日発表した。文献では「佐和山惣構」として存在が知られていたが、発掘での確認は初めて。専門家は「実在を証明できた意義は大きい」としている。

同協会によると、城跡の調査で、幅約10メートルの溝を約7メートル分を発掘。溝からは鬼瓦の破片などのほか、16世紀最末期~17世紀初頭の陶磁器が出土した。

外堀の年代を推定する決め手となった陶磁器
外堀の年代を推定する決め手となった陶磁器

豊臣秀吉が三成を佐和山城主に据えた翌年の文禄5(1596)年に書かれたとされる三成家臣の須藤通光(みちみつ)の書状には周辺の百姓が動員されて佐和山惣構が築かれたことが記されており、見つかった陶磁器と年代が一致する。

今回発見された溝は、佐和山惣構の堀の名残と想定される小野川につながり、いずれも最大で東西約100メートル、南北約500メートルの城下町想定区域を実証する根拠になったという。

惣構は、北条氏が小田原城に築いたものを参考として、秀吉が伏見城や大坂城などで構え、江戸時代に全国に広まったとされる。

滋賀県立大学の中井均名誉教授(日本城郭史)は「惣構のある秀吉家臣の城は佐和山城が初。城下町を守るだけでなく、戦時には大軍が入ることができる惣構を三成は率先して取り入れたと考えられ、発掘調査で存在が確定できた意義は大きい」としている。

現地説明会は20日午後1時半から。問い合わせは同協会(077・548・9780)。

■佐和山城 東山道(中山道)と琵琶湖水運が交わる戦略的要所に位置する佐和山(標高232メートル)の尾根上に城郭が築かれ、東麓に武家屋敷や内堀が整備された。丹羽長秀や石田三成らが城主となったが、慶長5(1600)年の関ケ原の戦い後は徳川家家臣の井伊直政が入城。その後、直政の子の時代に彦根城の完成に伴い廃城となった。


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