話の肖像画

女優・泉ピン子<16> 市川脚本きっかけ、梅沢一家と出会う

もともと芸達者で鳴らしており、即興の舞台にもすぐ適応した
もともと芸達者で鳴らしており、即興の舞台にもすぐ適応した

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《昭和58年には、思い出深いドラマ「淋しいのはお前だけじゃない」(TBS)がテレビ大賞を受賞した。借金常習者と取り立て屋が、ひょんなことから大衆演劇の一座を旗揚げするストーリーだ》

この作品の前に、市川森一さん脚本の「港町純情シネマ」(55年、TBS)を見て、「なんで私が出ていないんだろう」と思ったんです。それくらいすてきなドラマでした。それで演出の高橋一郎さんに会いに行き、市川さんに電話して「次は何をやるんですか、私も出演させてください。スケジュール空けますから」と直談判しました。高橋さんからは「特別扱いしませんよ」と言われ、「しなくっていいです」と答えました。どうしても出たかったのです。

「淋しいのはお前だけじゃない」の出演について、高橋さんから条件を言い渡されました。「今作で初めてテレビ出演する梅沢富美男という大衆演劇の役者と仲良くしてあげてください。彼の舞台を1カ月に1回必ず見に行って、終わったら楽屋で一緒に飲んでください」。富美男ちゃんの舞台って、都心から離れた世田谷区下北沢や北区十条、千葉県松戸市や川崎市なんです。それでも、忙しい合間を縫って、1年間ずっと毎月通い続けました。

ある時は、私も白塗りして舞台に出ました。大衆演劇は口立て(おおまかなあらすじに沿って、俳優同士が口頭で内容をまとめていく)芝居なので、座長と「何役をやりたい?」「雪之丞変化みたいな格好をしたいです」なんて打ち合わせもしました。幕が下りたら、一座の皆と観客の送りもして、そのあとは楽屋で飲んでいました。

《歌舞伎役者の十八代目中村勘三郎(当時、勘九郎)さんや、十代目坂東三津五郎(当時、八十助(やそすけ))さんを、梅沢劇団の公演に連れて行ったこともある》

あの2人に「歌舞伎座では何万円も取って客席に座らせるけど、大衆演劇は観劇料千円くらいで、飲み食いまでさせてくれる。あんたたち、ちょっと勉強しなさい」と言って、東京・浅草の木馬館大衆劇場まで連れて行きました。その帰りに、富美男ちゃんと座長も一緒に、朝まで上野広小路で飲みました。そうしたら、歌舞伎役者の2人は500円しかお金を持ってきていないと言うじゃありませんか。歌舞伎の男って、お金を持ち歩かないそうです。だから、梅沢一家が「しょうがねえな、この役者たち」って言って、飲み代を払っていましたね。

《「淋しいのはお前だけじゃない」は、大評判だった》

市川森一さんの代表作になり、テレビ大賞だけでなく、向田邦子賞も受賞しました。視聴率も良く、業界人からの評判も高かった。中村勘三郎さんたちも見てくれて、ずいぶん褒めてくれましたね。

《梅沢一家とは、家族ぐるみの付き合いをしていた》

あのころ、お兄さんの武生(たけお)さんには「ピンちゃんって、すごく色っぽいよね」なんて言われていましてね。「色っぽいと思ってるなら、口説いてよ」と冗談を返していました。

武生さんは今年1月に亡くなりました。富美男ちゃんは公演中だったので、楽屋で柝頭(きがしら)(拍子木)を打って、悼んでいました。その後の舞台での踊りは本当に美しく、私の目に焼きついています。

《今年1月に行われた東京・明治座「梅沢富美男劇団」公演には、自身も特別出演している》

笑いあり、涙ありの人情喜劇と歌に踊りです。「何十年ぶり?」「三十何年ぶりね」みたいな会話もしました。劇場は大きなところになりましたけど、富美男ちゃん自体は何も変わっていませんでした。(聞き手 三宅令)

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