小林繁伝

大阪タイガースの「ダイナマイト打線」再び 虎番疾風録其の四(91)

昭和21年~24年までの阪神の打線はダイナマイト打線とよばれた。左から長谷川、後藤、玉置、土井、藤村、別当、金田、呉
昭和21年~24年までの阪神の打線はダイナマイト打線とよばれた。左から長谷川、後藤、玉置、土井、藤村、別当、金田、呉

昭和51年の阪神打線は「新ダイナマイト打線」と呼ばれた。

4月18日の大洋2回戦(石川)で球団新記録の24安打を放ち19得点で7連勝。そのときの先発オーダーがこれだ。

①中村勝(二)②藤田(遊)③ラインバック(右)④田淵(捕)⑤ブリーデン(一)⑥東田(左)⑦池辺(中)⑧掛布(三)⑨谷村(投)


◇4月18日 石川県立野球場

阪神 320 228 002=19

大洋 000 200 011=4

(勝)谷村1勝 〔敗〕奥江1勝1敗

(本)ラインバック③(渡辺)シピン③(谷村)掛布②(山下律)藤田①(山下律)長崎③(松下)


9―2と大量リードで迎えた六回、阪神は藤田の右翼越え二塁打、田淵四球、ブリーデン遊撃内野安打で1死満塁。ここで吉田監督は「東田には悪いが、遠井にも打たせて調子を出させようと思いまして…」と代打。その遠井が一塁線を破る。さらに池辺、掛布の連続タイムリー。2死後、中村勝の中前打のあと藤田が右翼へトドメの1号2ランを放って一挙8得点。

「皆さんが打つのでボクもつられてヒットがよく出ます。8番はサインも出ないし自由に打てますから」とは入団3年目、まだ20歳の掛布。打率・382はチーム3位だ。

初代「ダイナマイト打線」は昭和21年から24年までの猛虎打線のことをいう。当時は「大阪タイガース」。名付け親は当時、日刊スポーツの記者だった高山方明といわれている。左にある写真がメンバー。右から―

①呉昌征(中)②金田正泰(左)③別当薫(右)④藤村富美男(三)⑤土井垣武(捕)⑥安居玉一(一)⑦後藤次男(二)⑧長谷川善三(遊)

こんなエピソードが残っている。21年7月15日のセネタース7回戦。3―7と4点リードされていたタイガースは六回、主砲の藤村がベンチの真ん中で新聞紙を丸めて火をつけた。

「さぁ、ダイナマイトに火がついたぞ!」と叫んで鼓舞すると、たちまち猛攻。一挙、5点を奪って逆転に成功した。この攻撃で1番の呉が右腕に傷を負うと、藤村が燃やした新聞の灰をすり込み「これで大丈夫や」とグラウンドに送り出したという。

25年、セ・パ2リーグに分裂。呉、別当、土井垣、本堂保次らが「毎日」に引き抜かれ、ダイナマイト打線は崩壊した。(敬称略)

■小林繁伝92

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