一筆多論

APが報じたソ連の蛮行 岡部伸

AP通信が伝えた占守島でのソ連の奇襲上陸の記事(防衛研究所戦史研究センター史料室所蔵)
AP通信が伝えた占守島でのソ連の奇襲上陸の記事(防衛研究所戦史研究センター史料室所蔵)

「連合国軍が占守島に侵攻している」

千島列島最北端の占守島にソ連が侵攻してから18日で77年となる。「終戦」後のことだ。だが、このソ連の蛮行を米AP通信がいち早く報じたことはあまり知られていない。

「わが軍(日本軍)は自衛のために武器に頼らざるを得ない。両者間の敵対行為が禁止された以上、早急に敵対行為を停止することが切に望まれる」という、日本の主張をそのままAPが世界に伝えたのである。

昭和天皇のご聖断で、日本がポツダム宣言受諾を決め、8月15日に終戦の詔書が出された3日後だ。ソ連が「北海道の占領」を目指して奇襲上陸を始めた。

大本営は16日、即時停戦命令を下す一方で、自衛戦闘も「18日午後4時まで」と命じていた。しかし、侵攻するソ連軍に対し、「断乎(だんこ)反撃」を命じ、撃退したのが第5方面軍司令官、樋口季一郎中将だった。

樋口中将は、独自の判断で自衛戦闘を指示すると同時に18日、大本営に「停戦公表後に侵略するソ連軍は不都合で、関係機関と折衝を」と米軍に抗議するよう緊急電で要請した。不都合とは、国際法違反という意味であろう。

大本営は直ちにマニラのマッカーサー司令部に占守島を侵略するソ連に停戦を求めるよう電報を打った。マッカーサーは戦闘中止を求めたが、ソ連は無視した。そこでAPがマニラ発で伝えた。侵攻日を18日と記しており、日付は20日か、21日とみられる。

APは、「通報では、上陸した連合国軍の国籍は不明」としたが、状況からソ連の犯行であることは明らかだ。敗戦国が戦勝国の米国といち早く連携し、武装解除で丸腰となった日本を侵略するソ連の蛮行を国際社会に訴えた意味は小さくない。国際法を守らず、力による現状変更を狙う侵略国家ソ連の本性を速やかに発信したのは、プロパガンダにたけたソ連に情報戦で一泡吹かせたといえる。

北千島、南樺太で日本軍が激しく抵抗した結果、ソ連軍は22日、北海道占領を断念する。第5方面軍の抵抗と情報発信がなければソ連軍は北海道になだれ込んでいただろう。

樋口中将が「反ソ」で米軍と連携したことについて、孫の樋口隆一明治学院大学名誉教授は「対露情報将校だった祖父は、ソ連軍が千島、樺太から北海道まで侵攻することを察知していた。そこで米軍と共闘し、立ち向かう対策を考えていた」と指摘する。

手記によると、(ソ連参戦)数カ月前、参謀本部第2部ロシア班参謀が札幌の第5方面軍を訪れ、数カ月後にソ連が対日開戦すると告げたという。ストックホルムから参謀本部に届いたとされる小野寺信(まこと)武官のヤルタ密約も伝わっていたかもしれない。終戦1カ月前の7月、阿南惟幾陸相も同所を訪問している。

隆一氏によると、8月17日、札幌郊外の千歳空港に米軍のB29が飛来したが、樋口中将は驚かず、知っていた様子だった。ソ連の北海道侵攻への米軍の警告と解釈できる。樋口中将が大本営を通じ、米軍と連携していた可能性もある。

ウクライナで侵略戦争を続けるロシアは今も北海道侵攻の野望を隠さない。

ソ連の侵略を撃退し「分断国家の悲劇」から救った樋口中将のインテリジェンス(諜報)と決断のひそみに倣いたい。(論説委員)

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