話の肖像画

女優・泉ピン子<15> いきなり好感度1位、に戸惑い

「おしん」で着用した継ぎはぎだらけの着物は、実のところ、出演者のなかで最も高価な衣装だった
「おしん」で着用した継ぎはぎだらけの着物は、実のところ、出演者のなかで最も高価な衣装だった

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《昭和58年放送のNHK連続テレビ小説「おしん」(橋田寿賀子さん脚本)で、主人公おしんの母、ふじを演じた。役に打ち込む姿は、おしんの少女時代を演じた小林綾子さんにも感銘を与えていた》


トーク番組に出演した綾ちゃんが、「ピン子さんは、足にガラスが刺さっていたのに、そのまま演じていたのがすごかったと思います。撮影後になってやっと、陰でガラスを取っていました」と話していました。そんなことあったかな、と思って映像を見ると、足を浮かしていて、ガラスが刺さっていました。

何も言わずに、黙って演技している姿が、われながら美しかったですね。今だったら問題になるのでやれないし、やらせないでしょうが、当時のそういうストイックな雰囲気が、「おしん」の作風とも合っていて、よかったと思います。

綾ちゃんとは、今でも親交があります。橋田先生が亡くなったときも、綾ちゃんはすぐに駆けつけてくれました。それまでも橋田先生の所へ、ずっとお米を送り続けていましたし、義理堅いですよね。

私が舞台を辞めようと思ったとき、使っていたフランス製の化粧前(鏡台など)一式は、綾ちゃんにあげました。やっぱり、そういう意味で、私たちは親子だったのかもしれません。


《東北の貧農であるふじの衣装は、古びた継ぎはぎだらけの着物1着だけだった》


NHK大河ドラマ「おんな太閤記」でも貧相な着物を着せられたので、正直またか、という気持ちでした。でも、衣装さんに「これが一番お金が掛かっているんです」と言われました。「いろいろな生地を潰して、つなぎ合わせて作っているから、こんなにお金が掛かっている衣装はない」って。ああそうか、と納得しました。


《「おしん」は最高視聴率62・9%をたたき出し、伝説的なドラマとなった》


視聴率が50%を超えた日に、大入り袋が配られました。食堂の50円のコーヒー券1枚が入っていました。こういうものは中身の問題ではありません。

でも撮影中は、そんなに視聴率が良かったという実感はありませんでした。毎日、現場と自宅の往復だけですし、山形弁を覚えなくてはならないのもあって、民放の仕事なども減らして、外界の情報を遮断し、撮影に集中していたからです。


《できる限り、取材も断っていた》


あのころの私は、取材に対してずいぶん、感じが悪かったと思います。もう少し、気を使っていたら、その後の世間の印象も変わっていたはずです。

このときは、世の中に対してすねていたというか、突っ張っていたのです。自分自身は全く変わっていないのに、「おしん」に出演しただけで、どうして皆に好かれたり、もてはやされたりするのだろうと、腹を立てていました。

急に好感度1位女優に選ばれて、「ピン子さんどうですか」と聞かれたときは、本当にムカつきましたね。NHKを通して取材に来る記者も、みんな「こうですよね?」という、決めつけるような聞き方をするわけです。それが本当に嫌でした。「そんなこと、私はないです」みたいな、つっけんどんな態度を取っていました。もうちょっと言い方があるだろうに、と今なら思います。

忙しいときに、気持ちの余裕がないときに取材を入れられて、いろいろな人に何度も同じことを聞かれることにも、イライラしていました。当時、取材に来た人には、本当に申し訳ないことをしたと思いますし、態度が悪かったことを反省しています。(聞き手 三宅令)

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