(月刊「丸」・昭和63年5月号収載。筆者は陸軍通訳生)
旧満州国の西北部に位置する大興安嶺を中心とする地域は、往時より蒙古民族の遊牧地帯として知られ、とくに大興安嶺の西北部ホロンバイルの遊牧地帯は有名である。蒙古人にもバルガ族、ダホール族、ブリャート族など各種族があり、それぞれの境界を守って、のどかに暮らしていたのである。
海拉爾(ハイラル)市は、旧満州国行政区分でいえば興安北省の省都で、東支鉄道(日本が同鉄道を建設したロシアより、金銭で譲渡をうけたハルビン~満州里間を結ぶ鉄道で、満鉄では浜州線と称していた)のロシア国境より東へ約百七、八十キロに位置する、当時もっとも繁栄していた都市であり、人口約六千、漢人は満州里より多く、ロシア人は満州里とおなじ約三千人ぐらい住んでいた。現在でも蒙古民族自治地区として、人口は数倍にふえ、各種産業などが発展している。