「海軍航空隊の父は裏切り者にあらず」 英専門家が“日本スパイ説”に反論 岡部伸

日本海軍のため製造されたイギリスの単座戦闘機「グロスター スパローホーク」を東郷平八郎元帥に紹介するウィリアム・フォーブス=センピル卿(センピル家提供)
日本海軍のため製造されたイギリスの単座戦闘機「グロスター スパローホーク」を東郷平八郎元帥に紹介するウィリアム・フォーブス=センピル卿(センピル家提供)

日本海軍に航空技術を伝え、「日本海軍航空隊の父」と称されながら、英情報局保安部(MI5)から、「裏切り者スパイ」との疑惑を持たれた貴族将校、ウィリアム・フォーブス=センピル卿について、元英外務省職員(国家安全保障担当)のアレキサンダー・ハーディー氏が検証し、「英米の利益を裏切る管理された日本のスパイだった主張は、証拠で裏付けられない」とする論文をまとめた。米国のインテリジェンスを研究する学術誌「諜報と防諜の国際ジャーナル」に発表し、15日、ロンドンのジャパン・ソサエティーで講演する。

日英米開戦を真珠湾攻撃の直前まで回避しようと尽力した〝日本の友人〟の名誉が回復されることで、近年の日英の友好関係がさらに前進しそうだ。

茨城県土浦郊外の一軒家でくつろぐウィリアム・フォーブス=センピル大佐(左)と長女のアン(センピル家提供)
茨城県土浦郊外の一軒家でくつろぐウィリアム・フォーブス=センピル大佐(左)と長女のアン(センピル家提供)

スコットランド貴族で優れた飛行士だった第19代センピル卿(1893~1965)は、日英同盟破棄決定直前の1921年9月から1年半、英海軍航空隊員29人を率いて非公式教育団として茨城県・霞ケ浦で、海軍に最新航空技術を伝えた。その後も海軍航空隊を発展させる援助を続けた。

22年帰国後、海軍ロンドン駐在武官、豊田貞次郎大佐(のち大将、外相)らと交流を深め、三菱など日本企業と顧問契約を結び、情報を提供したり、便宜を図ったりした。

こうした行動を日英同盟破棄、第二次大戦勃発後も続けたため、23年から26年、39年から41年に日本のスパイとして機密情報を開示した疑いが持たれた。

25年には豊田大佐(当時)に開発中の飛行艇、アイリスの情報を流し、報酬を得たとされる。英外務省尋問に、技術的な公務秘密法違反を認めている。

センピル大佐の妻、アイリーンから英会話を教わった地元土浦の少女の生徒たち。夫妻は英語を通じて、日英友好親善に務めた(センピル家提供)
センピル大佐の妻、アイリーンから英会話を教わった地元土浦の少女の生徒たち。夫妻は英語を通じて、日英友好親善に務めた(センピル家提供)

41年8月、米英首脳の大西洋会談の内容も英首相のチャーチルと親しいセンピル卿が日本に流した疑いが深まった。

MI5の長期にわたる調査でも結論は出なかったが、90年代後半から秘密解除された資料で、センピル卿が真珠湾攻撃の機会を作り、直接貢献したとして、歴史家やメディアから「真珠湾の裏切り者」とのレッテルを貼られた。

資料を検証したハーディー氏は、「アイリスについては機密情報を無許可で得た技術的な公務秘密法違反は事実」としながら、アイリスの機密情報の詳細を日本側に伝えた証拠はなく、同法違反は日本とは無関係で、ヴァーノン・ケルMI5長官が「明確な秘密情報の欠如」を理由に起訴を見送っており、「起訴すべき事件もなければ、裏切りの証拠もない」と強調。大西洋会談についても「センピル卿がチャーチルと親密だった根拠はなく、①MI5が傍受した連絡先に、チャーチルや首相官邸スタッフはない②傍受した電話記録の8月15日から24日まで空白で、チャーチルと会った可能性はない―ため、機密情報を知り、日本側に伝えた証拠はない」と一蹴した。また真珠湾攻撃には関係がないとした上で、「日本のために管理されたスパイとして行動した疑惑は免責されるべき」と強調している。

着物を着て日本髪を結った和装のセンピル大佐の妻、アイリーンと長女のアン(センピル家提供)
着物を着て日本髪を結った和装のセンピル大佐の妻、アイリーンと長女のアン(センピル家提供)

センピル卿の孫のジェイミー・センピル氏は、「ハーディー氏の調査で祖父の名誉回復を祈る。日本海軍や皇室、旧華族などに友人を持っていた祖父母は、日本を愛していた。日英関係再発展に繋(つな)がることも期待したい」と話している。(論説委員 岡部伸)

センピル教育団 英国空軍のウィリアム・フォーブス=センピル大佐による日本海軍航空技術指導の教育団。第一次大戦で航空戦力が決定的となったため、海軍は同盟国の英国から教育団を招聘(しょうへい)。総勢30人が霞ケ浦海軍飛行場で1921年9月から魚雷、爆弾、機関銃など最新航空兵器を紹介、20種類、100機以上の航空機を持ち込み、航空戦術を伝授した。

後に神風特攻隊を創設した大西瀧治郎らが学び、海軍は航空関係の訓練・技術で飛躍的に前進した。英国航空母艦の計画も伝え、日本空母建造の中核となる空母デッキの建造技術を指導し、日本海軍の航空訓練と技術開発は5年前倒しとなった。22年11月、センピル大佐は任務を終了し、勲三等旭日中綬章を賜り、帰国した。



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