「父に会えた気がした」遺族代表追悼の辞、大月健一さん(83)

全国戦没者追悼式の会場入りした大月健一さん=15日午前10時ごろ、東京都千代田区(末崎慎太郎撮影)
全国戦没者追悼式の会場入りした大月健一さん=15日午前10時ごろ、東京都千代田区(末崎慎太郎撮影)

全国戦没者追悼式で、遺族代表として追悼の辞をささげた大月健一さん(83)=岡山県高梁市=は先の大戦で父、克巳さん=当時(26)=を失った。壇上の標柱に語りかけるように言葉を紡ぎ、「初めて父と会話ができ、父に会えた感じがする。今までの苦労もこれで消えた」。

昭和13年7月、日中戦争に陸軍北支派遣軍として従軍した克巳さんが中国・河北省で戦死したのは、健一さん誕生の16日前の同年11月11日。身重の母に「男の子が生まれたら、健一と名づけるように」と言い残していたことを知り、「『健康が第一』という願いを込めてくれたのだろう」と父の優しさを感じ取った。

父親がいないことは寂しく、つらく、「なんでこんなことになるんかな」という思いを何度も味わった。戦中は近所の人も父の墓参りに訪れてくれたが、戦後は一変し、教師からも「親がおらんのか」と心ない言葉を浴びせられた。

それでも、母と2歳上の姉の3人で身を寄せ合い、必死に生き抜いた。追悼の辞では「母は多くの苦労に耐えながら、私たち姉弟を頑張って育ててくれた。全国の多くの遺児の皆さんも同じだろう」と残された家族の思いを代弁した。

父の面影は、戦地での軍服姿の写真からうかがうのみ。遺品として返ってきた、千人針が縫われた腹巻きや、戦地で受け取った家族からの手紙の束は今も自宅に大切に保管してある。いつかは最期の地となった河北省を訪れ「おやじ、来たぞ」と報告したいという。

追悼の辞の最後には、ロシアによるウクライナ侵攻などを踏まえ、「戦争は遠い過去の歴史的出来事ではなく、今も身近にある」と危機感を募らせた。「私と同じように、親がいない人を生んではいけない」。そう訴えずにはいられなかった。(末崎慎太郎)

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