話の肖像画

女優・泉ピン子<13> 食いっぱぐれない母親役に納得

取材に答える=昭和55年3月
取材に答える=昭和55年3月

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《昭和56年、NHK大河ドラマ「おんな太閤記」への出演と並行して、各局の連続ドラマの主演が続いた。例えば「垣根の魔女」(フジテレビ系)。主人公は、垣根越しにニューっと顔を出し、トラブルに首を突っ込んでくる70歳のおせっかいなおばあさん。厚化粧をして、高齢の〝魔女〟役を演じきった》


このころは結構、いろいろな役に挑戦していました。でも、なんで33歳のときに、70歳の役を演じようと思ったのか、今となっては不思議です。面白いと思ったのでしょうね。これは確か同名の漫画が原作でした。視聴率も良かった。こんな変わったドラマにも出ていたのだなあ、と思います。


《「花咲け花子」(日本テレビ系)では、けなげな女性、花子を主演した。花子は、夫と先妻の子も含めて4人の子供と義父で幸せに暮らしていたが、ある日突然、夫に死なれて、生活の全ての負担が降りかかってくるという役だ》


子連れ未亡人の奮闘記でした。八百屋の役で、本物のリヤカーを引いて、拡声器を使って野菜を売る演技をしていたら、本当にお客さんが買いに来てしまって、NGになったこともあります。

プライベートでは独身でしたが、この作品くらいから、すっかりお母さん役のイメージがついてしまいました。当時のインタビューには「子役に『お母さん』と呼ばれても抵抗を感じないし、子持ちの掃除婦の役なんかピタッとはまっちゃうしね。たまに独身のいい女の役がこないものかと思う」なんて、答えています。

視聴率が高かったので、パート2もやりました。パート3の誘いもあったのですが、それは断りました。


《同作では、主題歌の「一番星みつけた」も歌った。〝夫の思い出を歌う童謡のような〟曲だった》

それまでの演歌とは違った曲調で、平尾昌晃(まさあき)さんの作曲でした。ちょうど、(「おんな太閤記」でも共演した俳優の)西田敏行君が、主演した「池中玄太80キロ」(日本テレビ)で主題歌「もしもピアノが弾けたなら」を歌い、ヒットしていたころですね。

この時代から1時間ドラマが減っていき、だんだん2時間ドラマが主流になっていきます。


《その後も、「哀しみは女だけに~ああ獄舎の母!」(日本テレビ系)、「キューピットの旅立ち」(フジテレビ)など、母親役が続いた》


最初のうちは、本当のことを言うと、母親役を演じるのが嫌でした。でも(〝小さいお母さん〟と慕っていた女優の)森光子さんに「小夜ちゃん(本名)、バカね。母親の役をやっていれば、生涯食いっぱぐれがないわよ。逃しちゃだめよ。私を見なさい。ずっと母親役をやっているでしょう」と言われて、「そうか!」と納得しました。でも、母親役が板についてしまうと、私もずっと母親役しかなくて、(〝ママ〟と慕っていた脚本家の)橋田寿賀子先生には「私はずっと母親なんです。(だから、独身の役もください)」なんて、言ったこともあります。


《ドラマ撮影の合間を縫って、友人で女優の五月みどりさんに誘われ、彼女のハリウッドの邸宅に遊びに行ったこともある》


忙しい時期でしたが、ミーハーなので、「休みを取っていきます!」と二つ返事をして、10日間の旅行をしました。だって、行ったことがないところへ行ってみたいじゃないですか。邸宅は、セキュリティー対策に毎月100万円が掛かっているとのことで、すごかったです。ラスベガスにも連れて行ってもらいました。五月さんの旦那さんも含めてみんなでカジノに出かけて、よく分からないまま負けて、スッカラカンになりました。(聞き手 三宅令)

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