Dr.國井のSDGs考(12)

中東にも響いた日本人の「寄り添う力」 国際赤十字パプアニューギニア代表・五十嵐真希さん(中)

国際赤十字・赤新月社連盟のパプアニューギニア代表を務める五十嵐真希氏
国際赤十字・赤新月社連盟のパプアニューギニア代表を務める五十嵐真希氏

「公益社団法人グローバルヘルス技術振興基金(GHIT Fund)」のCEOに就任した医師の國井修氏が、誰も置き去りにしない社会についてゲストと対談する企画の12回目は、国際赤十字・赤新月社連盟のパプアニューギニア代表を務める五十嵐真希氏をゲストに招いた。「中」では、アフリカでの活動を経て中東で始めた支援について聞いた。

現地のダンスで家族に

國井 次に派遣されたのが中東ですね。ベイルートでしたっけ?

五十嵐 そうです。2015年のことです。2011年からのシリア危機で、日赤はシリアに資金援助をしていたんですが、もう少し踏み出さないといけないと中東に事務所を構え、本格的に支援を始めることになりました。ケニアは後任が育っていましたし、中東に興味があったことから行くことにしました。事務所を立ち上げて日赤のプレゼンスを上げ、新しい事業を作るというのが使命でした。

國井 中東に興味があったんですね?

五十嵐 はい。興味と感心はあったのですが、知識は浅いし、アラビア語は話せないし、全体的な状況を理解するのと受け入れてもらうのに1年半くらいかかりました。それまでの地域と中東が違ったのは、まず情報が出てこない、情報にアクセスできないことでした。女性であることがハンデとは感じませんでしたが、よそ者に厳しい土地柄で、アラビア語がしゃべれないのはきつかったです。普段は英語で仕事しているスタッフも、都合が悪くなるとアラビア語に切り替えてくるんですよ。

私は日本赤十字社の中東地域首席代表として、シリア、レバノン、パレスチナ、イラク、ヨルダン、イエメンの6カ国を担当。さらに、国際赤十字社・赤新月社連盟の仕事も兼務していて、北アフリカと中東の17カ国の緊急保健のテクニカルアドバイザーもやっていました。

國井 2つの肩書を引っ提げて、どうやって入り込んでいったんですか?

五十嵐 私は体育会系気質なので、がんばっていれば絶対に認めてもらえると思い、皆がやりたくないことを、こつこつとやり続けました。中東はもともと日本人に好意的ですし、日本のアニメも人気です。そうした背景も助けになったかもしれません。

中東のダンスにダブケというのがあるんですが、パレスチナ赤新月社の50周年の催しで何千人もの前で踊ったら、そこから一転、皆の家族になりました。家族になったらこちらのものです(笑)。

國井 中東には踊りや歌が好きな人が多いから、そこから入っていくのは大事ですね。

五十嵐 とはいえ、一筋縄ではいきませんでした。中東は口承文化なので、文書に書いて残さないし、隠すことも多いし、間違いもなかなか認めない。新型コロナの対応でもそうだったんですが、多くの国においてデータは出てこないし、データや情報が出た瞬間に否定され消されることもありました。だからなかなか対策が取れない。新型コロナのパンデミックでも、当初はシリアもイエメンも「コロナは存在しない」としていましたから。

どうにかしないといけないと、世界保健機関(WHO)、ユニセフと組んで、リスクコミュニケーションと啓発活動をすることにしました。その中で地域に強いのは赤十字・赤新月だと認めていただき、こちらのトレーニングスキルを広められたんです。

義理人情のパレスチナ

國井 WHO、ユニセフ、赤十字はいろんなところで協力し合っていますよね。ミャンマーのサイクロンでも、WHOには人もお金もなく、ユニセフにはお金や物はあるけれど、被災地で実際に配る人がいなかった。ミャンマー赤十字と協力し合って、大規模な緊急支援ができました。

WHOやユニセフから地域に強いと認めてもらうまでになったのは、どんな活動をしてきたからですか?

五十嵐 例えばシリアやレバノンでは、紛争地や政治的に他の機関がアクセスできない状況や地域において、赤十字・赤新月社のスタッフとボランティアたちは、中立、公平、そして、独立の立場を守って、被災した人々、最も脆弱(ぜいじゃく)な立場の人たちにアクセスができる。シリアの紛争地における国連と協力しての救援物資の配給のみならず、地域保健活動の実施、そして、レバノンにおける新型コロナ陽性者の救急車による搬送や予防教育なども行うことができました。さらに、パレスチナ人、パレスチナ難民に対するパレスチナ赤新月社の活動もその一つです。

パレスチナの人は、歴史的にずっと厳しい立場におかれており、外から来る人への警戒心が強い。ガザやレバノン国内のパレスチナ難民キャンプでは、治安、人権、アクセスの問題もあり、パレスチナ赤新月社の医療、地域保健活動が、パレスチナの人々にとって最後の砦(とりで)になっています。

そこで、日赤は、パレスチナ赤新月社の医療・地域保健活動の重要性を認識し、寄り添う覚悟をしました。日本人の強いところは、聞く力と寄り添う力です。ごり押しせず、支援してやってるんだという姿勢ではなく、自分たちが学ばせてもらっているという姿勢を崩さない。どんなにきついことも耐えて地元の人と分かち合いながらやっていけるのは、日本の強さです。一度信用してくれると、彼らはよく動いてくれて、情報もくれるようになります。

國井 パレスチナの人と日本人の義理人情は似ていますよね。

五十嵐 それに勤勉ですね。夜中にメールを送ってもすぐに返ってくる。逆に、こんな時間まで自分たちのためにやってくれたと喜んでくれる。

レバノンにいるパレスチナの人たちは、ガザより厳しい状況にあります。市民権も財産権もなく、移動も制限され職業選択の自由もない。キャンプの中に75年も押し込められている。75年も状況が変わらない中、支援をしても意味がないといわれることもあります。でも、その前に目の前にあることをやらないでどうするんだと。長期のことを考えるより、今やれることをやる。そして、日赤だからできることは何かを考えて事業を作りました。彼らと時間を共にさせてもらえたのは、私にとって大きな学びでした。

大爆発で家が吹き飛んだ

國井 事業を作る中で、特に工夫したところは何ですか?

五十嵐 日赤は海外の地震や自然災害に支援チームを出すんですが、日本人だけで完結しちゃうことが多いんです。海外の経験はしても、本当のフィールドの経験はできない。それを打破したくて、レバノンとガザで立ち上げた医療支援事業では、ドクターとシニアナース、スタッフナースの3人でチームを作り、現地の病院に送りました。

一方のパレスチナの人たちは、今まで学ぶチャンスを与えられず、病院には十分な包帯やCTもなく、40年前の機器を使っている。日赤から来たチームと毎日、一緒に医療を行う中で、お互いに学び合い、気づいたことをどんどん改善していきました。

ハードでタフなミッションですが、日本人とパレスチナ人の医療チームは、ミッションが終わるころには仕事だけではなく、人と人とのつながりが構築され、皆がぼろぼろ泣いて別れを惜しみました。日赤のメンバーたちは、どんな形でもパレスチナの支援を続けたいという気持ちが強くなったと言っていました。パレスチナと日本のチームだからできたことなのかもしれませんが、夜勤も含め、苦楽を共にすることで適切な医療の向上と改善がされる。これこそあるべき姿だと思います。

國井 日赤には国際保健をやりたい人たちがたくさんいるので、彼らの活躍のフィールドを増やしてあげることが大切です。そうやって経験を積んでいけば、もっと海外で活躍できます。

五十嵐 そう思います。もっとたくさんの日赤の医療人が海外で活躍してほしいです。私は、新型コロナのパンデミックが始まってからは、毎日アップデートされる情報をフランス語、アラビア語に訳してもらい、17カ国に発信したり、オンライントレーニングをしたりで、毎晩午前2時、3時まで働いて、週末もありませんでした。2020年8月に日本に一時帰国して少し休めるかと思ったら、ベイルートで大爆発があって。わが家は爆心地から1キロ圏内だったので、家の窓と壁がほとんど吹き飛ばされてしまいました。現地のチームは全員無事でしたが、安否確認から始まり、1週間は睡眠ゼロでした。

國井 身近な被害がなかったのは、不幸中の幸いでしたね。

五十嵐 中東には7年いましたが、この2年はあまりにもいろいろありすぎて、本当にあっという間でした。=(下)に続く

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