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「近代の国防」物語る3つの穴 横須賀・千代ケ崎砲台

多数の船が行き交う浦賀水道を望む千代ケ崎砲台跡。ドローンを飛ばすと、巨大な3つの砲座が口を開けている様子がみえた =神奈川県横須賀市(川口良介撮影)
多数の船が行き交う浦賀水道を望む千代ケ崎砲台跡。ドローンを飛ばすと、巨大な3つの砲座が口を開けている様子がみえた =神奈川県横須賀市(川口良介撮影)

東京湾を望む神奈川・横須賀の小高い丘。夏草が海風にそよぐ中、ぽっかりと3つの穴が空いている。

外国船などから首都を防衛するために築かれた東京湾要塞の一つ「千代ケ崎砲台」の跡地。明治28年の完成時には、巨大な穴に大砲が鎮座していたという。

国の史跡である約1万5千平方メートルに砲座のほか、通路や弾薬庫などが残る。れんが積みの壁とコンクリートの天井は、当時の最先端技術を結集し頑強に造られたものだ。

れんが積みで造られた砲座への通路は日中でも真っ暗。ライトで照らしながら見学する =神奈川県横須賀市(鴨川一也撮影)
れんが積みで造られた砲座への通路は日中でも真っ暗。ライトで照らしながら見学する =神奈川県横須賀市(鴨川一也撮影)

昭和20年の先の大戦終戦後は、民間に払い下げられ、その後、海上自衛隊が通信施設として平成25年まで使用した。

近くに住む常盤宏さん(85)は昭和23年に開拓者の父と引っ越してきた。「原生林の山かと思った」と昔を振り返る。砲台の存在を隠すため草木は手入れされず、使えなくなった機関砲や大砲も放置されていた。当時は小学5年生。土曜日の午後には砲台跡で友達と走り回って「戦争ごっこ」をしたという。

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東京湾要塞は、明治から昭和にかけて、三浦、房総両半島に計32カ所の砲台が設営された。しかし、幾度かの大きな戦争に直面するも、実戦で砲弾を撃つことはないまま役割を終えた。自然に飲み込まれ、朽ち果てる砲台跡も多いが、千代ケ崎は当時の面影を残している。

管理する横須賀市は、調査や環境整備を終えたとして、昨年10月から休日に一般公開をスタート。史跡を保護しつつ、観光での活用を目指す。

市教委の亀井泰治さん(62)は「関東でこれだけの戦跡が集まっている町はなかなかない。貴重な砲台跡に戦争を学びに来てもらえたら」と呼びかける。

明治の完成から1世紀以上、15日で終戦から77年。時代を見つめてきた砲台跡は、これからも激動の歴史を語り続けていく。

(写真報道局 鴨川一也)

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