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女優・泉ピン子<12> 父が大喜び、大河「おんな太閤記」出演

女優として駆け出した昭和53年、インタビュー取材を受ける
女優として駆け出した昭和53年、インタビュー取材を受ける

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《昭和56年、NHK大河ドラマ「おんな太閤記」に出演。誰よりも喜んだのが、父だった》


出演が決まったと伝えると、父は大喜びしてくれました。「まだ発表前だから、周囲に言ってはダメよ」と念を押したのに、いつの間にか話が街中へと広がっていました。

父が暮らしていた東京・五反田を歩くと、そこらじゅうから「小夜(さよ)ちゃん(本名)、大河ドラマ決まったんだってね! おんな太閤記、おめでとう」と声を掛けられましてね。「えっ、誰がそんなことを言っていたんですか」と聞くと、「父ちゃんが言ってたわよ! 喜んでいたわよ!」って。「言っちゃダメなのに…」と思っていました。

だけど、そんなに喜んでくれた父は、放送が始まる前に、肝臓がんで亡くなりました。61歳でした。

父の葬儀は盛大に行いました。ひつぎも100万円くらいする龍を彫った重厚なものにしました。でも、ひつぎって葬儀のときは布を掛けて隠してしまうのですね。それなら、段ボールでも何でもよかったように思います。骨壺も奮発して大理石のものにしました。でも、それも箱にしまってしまうので、外からは見えないものなのですね。弔辞のときなど、ずっと骨壺を抱えて立っていたのですが、大理石が重くて重くて…。見えを張って、後悔しました。


《「おんな太閤記」では、豊臣秀吉(西田敏行さん)の妹、きい役をつとめた。後の朝日姫である》


念願のお姫さま役だと思ったのですが、どうも様子が違いました。父が太閤記の資料をそろえてくれていたのですが、朝日姫というのはとても醜くて、嫁ぎ先の家康からも疎まれて、手をつけられなかったという…。

制作発表のポスター撮影のとき、(主演で秀吉の正室であるねね役の)佐久間良子さんが、金糸銀糸の刺繡(ししゅう)が入ったちりめんの豪華な衣装を着ていたので、「私もあんな衣装だろうか」と期待しました。「次、ピンちゃーん」と呼ばれて、ポンと渡されたのは、忘れもしない、粗末なピンクの木綿でした。「これ、丈を短くして、膝を出して。手甲脚半するから、わらじだから」と言われて、「ええ…。一応、お姫さま役なのに…」と思っているうちに、蓑笠(みのかさ)までかぶせられてね。

隣で同じ格好をした(秀吉の母役である)赤木春恵さんが「ピンキーちゃん(ピン子さんのあだ名)、用意できた?」と聞くのです。2人並ぶと、なんだか信楽焼の親子みたいでした。

私ね、「こんな格好で大河ドラマのポスターに出るのは嫌だ」とごねたんです。だって、1年間は東京・NHK放送センターの玄関に、そのポスターが飾られます。私は「夢にまで見た大河ドラマで、こんな木綿で、膝丈で、勘弁してくれ」と泣きそうになりました。


《衣装は不本意だったが、橋田寿賀子さんが脚本を書いた「おんな太閤記」の内容は気に入っている》


やはり橋田先生のお話は本当に面白いです。あの戦国時代を、合戦よりも家庭を中心にして、女から見た戦の悲劇を、いつも泣かされるのは女であるという、新しい視点から描かれていました。

泉ピン子という、芸人ならともかく、女優としてどうだろうと思っていた芸名も、売れてきたなら、それなりの良い名前に見えるようになってきました。

ただ、オープニングで名前を(タレントで朝日姫の夫役の)せんだみつおさんと並べられました。つまり一枚看板の女優と扱ってもらえませんでした。

悔しかったです。なんで頑張ってきたのに一枚になれなかったのだろうとか、他のドラマでは主役もやってきているのにとか、いろいろ考えました。(聞き手 三宅令)

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