(昭和53年8月号収載。筆者は戦艦「大和」前部射撃指揮所員)
その一つというのは、「総員退避、上甲板!」で右舷の手すりにすずなりになって、しがみついていた何百人の人たちのことである。この人たちは爆発とどうじに、一瞬のうちに木っ葉みじんになって吹きとばされるという結果になったことと思われる。
上甲板に退避し、これで助かったと安心していた将兵が多かったにちがいないが、激しい戦いを生きながらえてきたこの人たちも、つぎの段階で吹きとばされる悲しい運命の人たちであったのだ。
(昭和53年8月号収載。筆者は戦艦「大和」前部射撃指揮所員)
その一つというのは、「総員退避、上甲板!」で右舷の手すりにすずなりになって、しがみついていた何百人の人たちのことである。この人たちは爆発とどうじに、一瞬のうちに木っ葉みじんになって吹きとばされるという結果になったことと思われる。
上甲板に退避し、これで助かったと安心していた将兵が多かったにちがいないが、激しい戦いを生きながらえてきたこの人たちも、つぎの段階で吹きとばされる悲しい運命の人たちであったのだ。