「運命のタックル」主人公 けがと病に倒れた2人の5年後

講義を行う中川将弥さん(右)と田中伸弥さん=6月20日、大阪府東大阪市の近畿大(西川博明撮影)
講義を行う中川将弥さん(右)と田中伸弥さん=6月20日、大阪府東大阪市の近畿大(西川博明撮影)

大学ラグビーの試合中、激しいタックルを受けて車いす生活になった選手がいる。一方、タックルをした選手は試合の約2週間後、肺がんが見つかり、のちに「運命のタックル」と呼ばれた。懸命なリハビリや治療に向き合いながら再び選手として復活を目指す、ともに26歳の〝因縁〟の2人は6月、近畿大の特別講義で講師として登壇。「絶対にあきらめないで」と、学生たちに熱いメッセージを送った。

告げられた非情な診断

高校時代からラグビーを通じた友人でライバルだった2人(当時21歳)の運命が変わったのは、平成29年11月25日。西京極陸上競技場兼球技場(京都市)で行われた関西大学ラグビーAリーグの京都産業大-近畿大戦だった。後半、味方からパスを受けた京産大の主将、中川将弥さん(現・島津製作所)が、近大の田中伸弥さん(現・三菱重工相模原ダイナボアーズ)からの激しいタックルを受け、崩れるように倒れた。

「えげつないタックル。意識が飛んだ」と、振り返る中川さんは担架で運ばれた。頸椎(けいつい)損傷による半身不随となるけがで「一生寝たきりの状態になるかもしれない」という医師からの悲痛な宣告に、「生活の一部だったラグビーができなくなるんじゃないか」と泣いた。車いす生活を余儀なくされ、内定していたラグビーチームへの進路も絶たれたという。

一方、タックルをした田中さんも、試合の約2週間後に医師から深刻な診断を受けた。生存率50%とされる肺がんだった。中川さんに大きなけがをさせた罪悪感を背負いつつ「生きて、もう一回普通の生活に戻りたい」と抗がん剤による治療が始まった。

励まし合って芽生えた思い

けがや病に倒れた2人。中川さんは再び自らの足で歩けるようにリハビリを繰り返し、田中さんはがんを完治させることに全力を注いだ。大学ラグビーで戦った他チームの選手らからも励ましの言葉や千羽鶴のプレゼントなどがあり、2人も互いにメッセージを交換して励まし合うことで「再びラグビーをしたい」との共通の思いが芽生えた。

練習を見つめる京産大の元木由記雄ヘッドコーチと中川将弥さん(左)=令和元年6月、京都市北区(永田直也撮影)
練習を見つめる京産大の元木由記雄ヘッドコーチと中川将弥さん(左)=令和元年6月、京都市北区(永田直也撮影)

あれから5年近くがたち、現在は2人ともプロや社会人でラグビーチームに所属している。

中川さんは島津製作所に所属し「ラグビーがしたいというひとつの目標、夢がある。死ぬまでぶれることはない」ときっぱり。車いす生活の自分を「拾ってくれた同社をはじめ、応援してくれる方々に恩返ししたい」と前を向く。田中さんには「けがをさせられて恨みを持つということではなく、戦友。伸弥(田中さん)も生きるか死ぬかの瀬戸際であきらめず、ラグビーと真摯(しんし)に向き合っている。早く試合に出てほしい」とエールを送る。

「きょう頑張れないやつに明日はない」

一方、田中さんはラグビーの国内リーグ「リーグワン」の三菱重工相模原ダイナボアーズに所属。今年にもがんが再発して再び手術を行う人生の試練があったが、自慢のタックルを磨いて年末に開幕予定のリーグ戦での出場に照準を合わせる。チームはリーグ2部から1部へ昇格し「お兄ちゃん(田中健太選手)がいる花園近鉄ライナーズと対戦したい」と目標を掲げる。

この2人の講義は「障がい者スポーツの世界」をテーマに、近大生ら約80人が受講した。

中川さんは、身体障害者となって気づいたこととして「何でも好きなことができるのは当たり前ではない」と強調。自身が実践するように「夢や目標をもって生きれば人生がプラスになるのではないか。絶対にあきらめないでほしい」と語った。

病から完全復活を目指す田中さんも「きょう頑張れないやつには明日はない。自分がどうなりたいかを目指せば、必然とモチベーションも上がるのではないか」と後輩たちにエールを送った。(西川博明)

会員限定記事会員サービス詳細