(月刊「丸」・昭和53年8月号収載。筆者は戦艦「大和」前部射撃指揮所員)
私にとって、いや「大和」全乗組員、さらにはこのたびの特攻艦隊全員にとって、忘れようとしても忘れられない四月七日があけはじめ、まだうす暗い大隅海峡をぶじ通過したころから、あたりはじょじょに明るさを増してきた。
こうした狭いところを航行するときは、きわめて危険である。いつ、どんな障害や危険物が設置してあるかわからないし、そのうえ超大型の「大和」が通行するとあっては、いっそう警戒を厳にしなくてはならないのだ。
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