東京特派員

湯浅博 地方「廃線の危機」どうする?

三陸鉄道リアス線の開通時に新設された八木沢・宮古短大駅。朝の乗客は新たに乗車した1人を含めて2人のみだった =3月15日、岩手県宮古市 (福田涼太郎撮影)
三陸鉄道リアス線の開通時に新設された八木沢・宮古短大駅。朝の乗客は新たに乗車した1人を含めて2人のみだった =3月15日、岩手県宮古市 (福田涼太郎撮影)

その昔、たまに貨物列車しか通らない線路は格好の遊び場だった。東京都北区の旧国鉄の赤羽発電所から延びる引き込み線には、立ち入り禁止の柵もなく、悪童たちは線路に耳を当てて列車の近づく音を聞いた。

列車の接近を知るや、拾ってきた数本の5寸クギを線路上に並べ、さっと身を翻す。列車をやり過ごし、踏み潰されたそれを回収すれば手作りナイフの出来上がりだ。誰が教えたものか、オリジナルの悪知恵なのか。戦後のおおらかな時代の一断面であった。

「山の手の子供たちは、往来で遊ぶのが苦手だった」と書いたのは、演出家の久世光彦さんだった。下町育ちは路地裏も工場跡地も線路さえも遊び場だったから、「へー、上品なんだ」と鼻白みつつ、かすかな嫉妬を覚えた。

北区内には戦前から陸軍造兵廠(しょう)東京工廠など軍関連の施設が多く、赤羽、王子駅周辺には、多くの引き込み線が走っていた。その赤羽発電所が東京都の大規模な清掃工場に変わり、引き込み線が廃線になると、まるで故郷喪失のような寂寥(せきりょう)感を味わうことになった。

ケースが異なるとはいえ、赤字が続く地方鉄道の行く末を聞くと、妙な胸騒ぎを覚えるのだ。こちらは引き込み線の「5寸クギ遊び」どころの話ではない。沿線人口の減少に加え、新型コロナの感染拡大で利用客が落ち込むと、とたんに庶民の足となるローカル線の存続が危ぶまれる。

このところ、沿線住民も鉄道ファンもまた「ローカル線の運命やいかに」と眠れない日々を過ごしていたに違いない。国土交通省の有識者検討会がまとめる提言によっては、廃線決定で鉄路の響きが聞こえなくなる日がやって来るからだ。

検討会は1日に1キロあたり平均何人を運んだかを示す「輸送密度」が1千人未満の区間などを対象に、バスへの転換も含め、協議を進めるべきだとの提言をまとめた。自治体と事業者が3年以内に存続方式の結論を出すということらしい。

JR各社によると「1千人未満」の区間があるのは、全国のおよそ60の路線に上る。このうち、関東地方では房総半島のちょうど真ん中あたり。100円を稼ぐのに1万5546円の経費がかかる区間をもつ久留里線がある。

内房線木更津駅から延びるローカル線の久留里―上総亀山間では、1日あたりの乗客がわずか85人。営業にかかる費用が3億4400万円なのに、運賃収入は200万円しかない。

JR東日本はこの無残な経営状況について、地元と「持続可能な交通体系について建設的に議論をしていきたい」と丁寧な言葉遣いだった。だが、筆者には「もはやこれまで」と聞こえ、「廃線」の2文字がちらついた。

実は、昔の駆け出し記者時代に、この久留里線と連結構想をもつ木原線(現在のいすみ鉄道)が「廃線の危機」に遭遇したことがある。

昭和54年暮れの閣議で、今より厳しい「輸送密度2千人未満の路線廃止とバスや第三セクターへの転換」という決定が下された。木原線がこの決定に該当していたから大変、地元では大騒ぎになった。

昭和5年開業の木原線は、太平洋岸の大原と内陸部の大多喜を結んでいたが、やがては久留里線とドッキングして外房と内房を1つの線でつなぐ構想だった。路線名も木更津と大原のそれぞれ1字をとって木原線とした。

しかし、赤字経営が続いて廃線が現実のものになると、昭和55年4月には地元大多喜で、木原線存続の総決起集会が開かれた。

これを受け、翌年正月に「ルポ・木原線」として15回の連載を企画した。ところが、年明けに当時の千葉県知事が5千万円の選挙資金と引き換えに、業者に便宜供与の念書を出していたスキャンダルが発覚した。以後、知事退陣に至る政変劇に翻弄され、連載は半分で打ち止めという苦い記憶がある。

さて、存続の危機にあった木原線は、やがて沿線自治体などが出資する第三セクター「いすみ鉄道」として生き残りを図る。昭和63年に木原線を引き継ぎ、さまざまな乗客獲得術を駆使して苦難を乗り越えていく。

さて、兄弟分の久留里線はどうする?(ゆあさ ひろし)

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