「一枚の布」から衣服の可能性追求 世界的デザイナー・三宅一生さん死去

三宅一生さん(大西史朗撮影)
三宅一生さん(大西史朗撮影)

三次元である身体を、二次元の布でいかに包むか。5日に亡くなった衣服デザイナー、三宅一生さんは「一枚の布」を人体がまとう際に生まれる「間」を考察し続けた。

昭和40年に渡仏しオートクチュール(高級注文服)の技術を学ぶも、パリやニューヨークは〝政治の季節〟だった。立ち上がる若者を見て「ジーンズやTシャツのように、国も階層も性別も年齢も関係ない、身近で普遍的な服をつくりたい」と心を決めたという。

48年からパリ・コレクションに参加。非西洋の、日本人であることは「ハンディではなかった」と近年回想していた。日本の着物に限らずインドにもアフリカにも一枚の布を羽織る文化があることに着目し、人が着ることで服になる「一枚の布」というコンセプトを打ち出した。それは、立体造形の服を体にフィットさせる西洋の衣服観や、シルエットの変化に熱狂するファッションと違う、もう一つの衣服のあり方を提示した。

刺し子の服や丹前風コートなど和と洋の垣根を取り払い、素材も一から開発。繊維メーカーや地方の工場、伝統工芸の担い手らと連携し、日本のもの作りを発信し続けた。

到達点の一つが、布地をひだ状に加工したポリエステル素材のブランド「プリーツプリーズ」だ。彫刻的な造形美と機能性を兼ね備え、性別や年齢や体型を問わない服は世界で評価された。

10年には、一本の糸から一体成型で作る服「A-POC(エーポック)」(A Piece Of Clothの略)を発表。筒状の布やニットの点線に沿ってハサミを入れるとトップスやパンツになる、楽しいプラモデルのような服だ。いわば21世紀の「一枚の布」は、地方の工場にあった古い機械に、コンピューター技術を結びつけることで実現した。

翌11年、イッセイミヤケのデザイナーを後進に譲った後も、ポリエステルの再生繊維を使い、かつ折り紙のように畳める遊び心ある衣服「132 5.ISSEY MIYAKE」を開発。地球環境の悪化、国内製造業の空洞化といった問題にデザインで解を示した。

2005(平成17)年には、パリ・ポンピドゥーセンターの展覧会でピカソら20世紀美術の巨匠とともに作品が展示された。また、舞踏家ウィリアム・フォーサイス率いるバレエ団の舞台衣装を手掛けたり、写真家アーヴィング・ペンと長年協働するなど、芸術家同士、ジャンルを超えた交流でも知られる。アップル社の創業者、スティーブ・ジョブズが愛用した黒タートルも、イッセイミヤケのものだった。創造の真価はむしろ、国内よりも海外で、より理解されていたと言っていい。

晩年は日本の次世代に「デザインの可能性」を熱心に説く姿が印象的だった。デザインから社会を考える場「21_21デザインサイト」(東京)の設立に尽力し、ディレクターを務めた。東日本大震災の直後には東北の服飾関連の技に光を当てた企画展を開き、反響を呼んだ。さらに、欧米諸国のように優れたデザインの実作品や資料を集めたアーカイブの必要性を説き、国立のデザイン美術館創設を訴えた。

「戦後、資源の乏しい日本は創造力と技術-つまりデザインの力によって、世界に存在感を示してきた。しかし今は沈み行く太陽のよう。技術はどんどん海外に流出し、各地で手仕事も失われつつある。『3・11』を経て、この状況を何とかしたい」。生前こう語っていた。

「アーカイブは泉のようなもの。鳥が水を飲むように、若い人が何かを生み出すための資源となる」。三宅さんの夢は、未完のまま残された。(黒沢綾子)

三宅一生さん死去 世界的な衣服デザイナー

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