小林繁伝

南海・江夏、「感無量」の本拠地初登板 虎番疾風録其の四(85)

本拠地の大阪球場で南海移籍後初勝利を挙げた江夏=昭和51年4月
本拠地の大阪球場で南海移籍後初勝利を挙げた江夏=昭和51年4月

「南海・江夏」の本拠地・大阪球場でのお披露目の舞台は、昭和51年4月7日の先発登板。前年コテンパンにやられた西本近鉄が相手だ。

50年、南海は近鉄以外の球団とはほぼ互角に戦った。だが、近鉄には6勝18敗2分け。これがたたって前期5位、後期3位(総合5位)に終わった。

「去年の借りは返させてもらう。そのためには第1戦が大事なんや」と野村監督も気合が入っていた。


◇4月7日 大阪球場

近鉄 000 000 000=0

南海 000 110 00×=2

(勝)江夏1勝1S 〔敗〕鈴木1勝1敗

(S)佐藤2S


南海の2点リードで迎えた九回、マウンドには〝完封勝利〟まであと2人となった江夏。1死一塁で打者小川への4球目が大きく外れた。珍しいストレートの四球。野村監督がマスクを外してマウンドに駆け寄った。ここまで江夏の打たれたヒットは3本。しかも七回まで毎回奪三振の9奪三振。それはまさに〝芸術品〟のような快投だった。

南海に移籍して江夏は「力」を捨て「技」に生きた。速球を生かすためチェンジアップ、スローカーブ、フォークボールなどの変化球でカウントを稼ぎ、絶妙のコントロールで打ち取っていく。

「さすがや。江夏は打者のタイミングを外すのがうまい。ボールを離す瞬間まで打者の構えを見とるからできる技や」と野村監督が絶賛。そして近鉄ベンチでは西本監督が「お前ら、目開けて打っとるんか!」と絶叫した。

「おい豊、どうや、いけるか?」

「あとはできてるんですか?」

「大丈夫や」

「それならお願いします」

「完封」目前で江夏はあっさりとマウンドを降りた。これまでなら意地でも「投げます」と言っただろう。だが、このときの江夏はチームの「勝利」を優先した。それが、自分を温かく迎え入れてくれた野村監督やチームメートへの〝あいさつ〟の代わりだった。

江夏の後を受けた佐藤が後続を片付ける。「よっしゃぁ!」。ベンチ裏でマッサージを受けていた江夏はトレーナーの腕を振り切って飛び出した。

「この1勝は感無量や。みんながワシを応援してくれて、こんなに楽しく野球をやったのも初めてや。9年間一度もなかった。ホンマやで」

江夏が子供のように笑った。(敬称略)

■小林繁伝86

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