「プレステの父」久夛良木健に聞く 「決断が遅い企業経営」に陥る理由

久夛良木健(くたらぎ・けん) 電気通信大を卒業し、1975年にソニーに入社。1993年、株式会社ソニー・コンピュータエンタテインメント設立。2003年にはソニー副社長兼COOを兼任した。2009年には、サイバーアイ・エンタテインメントを設立し、代表取締役社長兼CEOに就任。東京都出身。71歳
久夛良木健(くたらぎ・けん) 電気通信大を卒業し、1975年にソニーに入社。1993年、株式会社ソニー・コンピュータエンタテインメント設立。2003年にはソニー副社長兼COOを兼任した。2009年には、サイバーアイ・エンタテインメントを設立し、代表取締役社長兼CEOに就任。東京都出身。71歳

今や日本だけでなく、世界を代表する家庭用ゲーム機「プレイステーション(プレステ)」シリーズ。1994年に登場して以来プレステ5まで、四半世紀以上にわたって任天堂とシェアを競い合っている。このプレステの「父」とされている開発者がいる。当時ソニーの技術者として働いていた久夛良木健さん(71)だ。

久夛良木さんはプレステ発売後、99年にプレステやそのソフトを開発する企業・ソニーコンピュータエンタテインメント(当時)の社長に就任。2003~05年にはソニー本体の副社長兼COO(最高執行責任者)も務めた同社を代表する技術者の一人だ。07年にソニーを退任した後も、角川グループホールディングスや楽天、スマートニュースなどの社外取締役などを歴任した。

その久夛良木さんが、22年4月に近畿大学の情報学部長に就任した。なぜ、大学教育に力を入れようとしているのか。71歳になってからの新たな挑戦について聞いた。

久夛良木健(くたらぎ・けん) 電気通信大を卒業し、1975年にソニーに入社。1993年、株式会社ソニー・コンピュータエンタテインメント設立。2003年にはソニー副社長兼COOを兼任した。2009年には、サイバーアイ・エンタテインメントを設立し、代表取締役社長兼CEOに就任。東京都出身。71歳
久夛良木健(くたらぎ・けん) 電気通信大を卒業し、1975年にソニーに入社。1993年、株式会社ソニー・コンピュータエンタテインメント設立。2003年にはソニー副社長兼COOを兼任した。2009年には、サイバーアイ・エンタテインメントを設立し、代表取締役社長兼CEOに就任。東京都出身。71歳

日本の教育の弊害を実感

――久夛良木さんは22年4月に近畿大学情報学部長に就任しました。これまで大学では09年から立命館大学などで教えてこられましたが、なぜ今、近畿大学の学部長として教育に携わろうと決意したのでしょうか。

大学で10年以上教えていますが、その中で日本の教育を変えたい、という思いも強く抱くようになりました。

日本はもともと江戸時代の寺子屋教育をはじめ、世界的に見ても自由な教育先進国だったと思います。ただ特に戦後になってから、決まったことは決まった手順で教え、基本的に答えが一個しかないものを○×式で選ばせるとか、そういう教育をしてきました。要するに、みんな同じ手順で同じことをチームでやるための教育をしてきたわけです。

もちろんこうした教育が戦後、自動車王国や家電立国を築き上げていく中で、一役買ってきた側面はあります。みんな同じルールの中でちょっとずつ改善していくことをやるためのワーカーを育成するためにです。でも、このやり方は世界の潮流から見ると、限界に達しています。

情報学部棟(以下、近畿大学提供)
情報学部棟(以下、近畿大学提供)

――90年代以降、失われた30年の原因ともいわれていますね。なぜ今までのやり方が通用しなくなってしまったのでしょう。

戦後の大量生産、大量販売、大量消費の時代が続いていたら、今までの教育のやり方でも通用していたかもしれません。しかし、この流れは世界全体の歴史の中で、ごく一部の期間にしか起こらなかったことなのです。一方で、こうした教育の影響は、少なくとも50年間は続いてしまいます。

これを痛感した例が一つあります。ある大学で私は1限から5限までぶっ続けでイノベーションについて教えていたのですが、最後に学生からこんな質問が飛んできたんです。「先生、私たちが定年になった時に年金は、もらえるんですか」と。それも一人ではなく、何人もの学生が同じ悩みを抱えていました。

こういう、人と同じように真面目に働いた先に未来はあるのかという悩みを抱いていること自体に、教育の弊害を感じさせられました。親世代の影響も大きくあるのだと思います。

東大阪キャンパス
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久夛良木ゼミの風景
久夛良木ゼミの風景

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