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女優・泉ピン子(6)テレビ界の寵児、めざした俳優業

お茶の間の人気者、泉ピン子
お茶の間の人気者、泉ピン子

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《夜のワイドショー「テレビ三面記事 ウィークエンダー」(日本テレビ)の名物リポーターとして一躍、時の人となった。他のテレビ局からも、争うようにしてバラエティー番組への出演依頼が殺到した》


当時は、3組の夫婦をゲストに相性を調べる「相性診断!あなたと私はピッタンコ」(関西テレビ)など、テレビとラジオで週5本のレギュラー番組がありました。NHKでは5時間のラジオ番組を持っていたのですが、申し訳ないことに全然記憶にないのです。睡眠時間を削って仕事をしていたから、もう眠くて…。演歌などで有名な作詞家の藤田まさと先生や星野哲郎先生など、立派な方々がゲストでいらっしゃったはずですが、全く覚えていません。

それほど忙しかったんです。プライベートらしいプライベートもなく、「結婚なんてする気になれば、いつでもできるもの。当分は仕事優先よ」とも話していました。


《昭和52年3月、2年間続けた「ウィークエンダー」のリポーターを自ら降板する》


高熱が出たときがあって、日本テレビには番組を「休ませてほしい」とお願いしました。でも、「休ませない」と言われました。視聴率40%ほどを取るリポーターでしたから、その反応は当然だったのかもしれません。でも、こちらも病人なので、無理なものは無理です。「もう、番組から降ります」という話をしました。そうしたら、「もう、うちの局では出演させない」と出入り禁止になりました。

日テレから(そのスタッフは出禁を知らなかったのか)「泉ピン子さんでお願いします」とうちの事務所へ電話がかかってきても、即座に「ダメだよ! ピン子は使っちゃいけないんだよ!」と、電話口の後ろから聞こえることもあったようです。

ただ(日本のバラエティー番組の礎を築いたとされる)伝説的なプロデューサーの井原高忠(いはら・たかただ)さんが間に入ってくれて、日テレの出禁は解けました。そうして解除後に、初めて同局から出演したのがコント番組「金曜10時!うわさのチャンネル‼」でした。(タレントの)所ジョージ君とコントをやったんじゃないかな。


《出禁中も、各界のトップタレントをゲストに招くトーク番組「ごはんでデート ピン子です」(テレビ朝日)などに出演していた》


えっ、そんな冠番組ありましたか。全然覚えていません。本当に忙しかったのでしょうね。ただ、人気なんて人の気持ちです。いずれにせよ、いつまでもウィークエンダーのリポーターだけでは、飽きられるとは思っていました。

ちょうどその前後ですが、ドラマ「夜明けの刑事」(TBS)にゲスト出演しました。自分の出番までとにかく待たされました。こんなに待っているのは嫌だと思い、(出演者で俳優の)水谷豊ちゃんに「この役者っていうのは一体何なんだ。私がやっているバラエティーというのはすぐ収録が終わるけれど、ドラマはなんなんだ。役者なんて、もうやらない」と愚痴を言ったことがあります。

その約50年後、NHKの番組で一緒になった豊ちゃんに「半世紀前に、役者なんて絶対にやらないって言わなかった?」と言われてしまいました。「すみませんでした」と謝りました。やってみたら、こんなに面白い仕事はありませんでした。結局、私が続けられたのは役者だけですね。

女優を志すようになってから、よく「どういう役をやりたいですか」と聞かれるようになりました。それに対して、自分から「こういう役をやりたい」と答えたことはありません。なぜかというと、それは相手が決めることだからです。自分の希望は、あくまで理想です。「やれたらいいですね」なんて、非現実的で意味がありません。(聞き手 三宅令)

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