安倍晋三元首相が自宅に戻られた9日、弔問にうかがい、ご遺体に「残念無念です」と心で申し上げながら焼香した。民主主義の最も大事な土台である選挙の演説中に、いかなる動機であれ、この暴力は絶対に許されない。民主主義は言論の戦いであるとの固い決意を国民全体で共有することが、今回の悲劇を乗り越えるためにも必要だ。
安倍さんに最初にお会いしたのは平成2年。私は第2次海部俊樹内閣の官房副長官だった。ご尊父の安倍晋太郎元外相の入院先に当時の坂本三十次官房長官とお見舞いにうかがい、このとき安倍さんが秘書として病室におられた。
当時、日本の政局はリクルート事件などで首相が次々と代わる激動期にあり、ご尊父の体調がよければ安倍晋太郎政権となる可能性が十分あった。後の「闘う」政治家としての姿勢をみるとき、秘書であり後継でありご子息であった安倍さんは、このとき、ひそかに燃えたぎる志を持ったのではないかと思っている。