核なき平和誓う 広島県被団協の箕牧理事長

肩を組んで記念撮影に納まる箕牧智之さん(左)と坪井直さん=平成24年6月(箕牧智之さん提供)
肩を組んで記念撮影に納まる箕牧智之さん(左)と坪井直さん=平成24年6月(箕牧智之さん提供)

広島県原爆被害者団体協議会(県被団協)の箕牧智之(みまきとしゆき)理事長(80)は6日、核兵器廃絶運動を牽引(けんいん)した坪井直(すなお)前理事長=昨年10月に96歳で死去=の後任として、初めての「原爆の日」を迎えた。

平和記念式典では坪井さんをはじめ、この1年間に新たに死亡が確認された被爆者ら4978人を追加記帳した原爆死没者名簿が原爆慰霊碑の石室に奉納された。

「(坪井さんは)日本を代表する被爆者だった。慰霊碑に坪井さんの名前が納められると、これで本当にお別れのような気がして寂しい」。箕牧さんはそうつぶやいた。

昭和20年8月の原爆投下直後、当時3歳の箕牧さんは広島駅に勤める父を捜すため、母に連れられて疎開先の飯室(いむろ)村(現・広島市安佐北区安佐町飯室)から広島市中心部に入り、被爆した。小学5年で40度を超える高熱にうなされ、生死の境をさまよった。

被爆者としての活動を始めたのは平成17年から。22年に坪井さんらと米ニューヨークを訪れ、核拡散防止条約(NPT)再検討会議に被爆者代表として出席。29年には核兵器禁止条約採択に先立つ国連会議の制定交渉を傍聴し、核廃絶を求める国内外の署名簿を提出した。

県被団協では31年1月、体調が悪かった坪井さんに代わって理事長代行となり、坪井さんが亡くなった後の昨年11月に理事長に就任した。「トップは孤独。一人で考えたり悩んだりしなきゃいけんこともある」と語る箕牧さん。今年1月に心不全で入院し、一時は集中治療室に。ひざに痛みを抱えてスムーズに歩くこともままならない。

懸念しているのは、被爆者の高齢化に伴う活動量の低下だ。自身が理事長の間に被爆2世を中心とした組織の活性化を目指す。

原動力は「核だけは廃絶するしかない。原爆投下から77年たった今も被爆者は放射能の被害に苦しめられている」との強い思いだ。長年活動をともにした坪井さんの口癖は「ネバーギブアップ」。箕牧さんは「今、辞めるわけにはいかない」と力を込めた。

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