朝晴れエッセー

引揚第一歩の地・8月6日

父が亡くなって17年がたった。いつも家族を第一に考える優しい人だった。父は20歳代を中国とビルマ(現ミャンマー)で戦い、終戦後2年間を収容所で過ごした。

筆まめだった父は多くの日記やメモを残した。中でもこの収容所で最も多くの日記やメモを書いている。京都に残した病弱な父母や2人の弟のこと、早く帰って自分が助けたい思いがつづられている。やがて昭和22年7月30日、ビルマから佐世保市浦頭港に引き揚げてきた。そのときの様子を「懐かしの祖国の緑は格別で、もうわが故郷京都を夢見ている」と書いている。

私はふと浦頭港に行ってみたくなった。そのときの父に会える気がしたのだ。コロナ禍の昨年7月30日、新幹線と特急を乗り継いで浦頭港を訪れた。タクシーを降りると「引揚第一歩の地」の碑があり、ここが引揚桟橋であることが分かった。当日は気温31度で晴れていた。調べてみると偶然にも父の引き揚げ当日と同じ気温、天気だった。

昔のままの桟橋があり、電線が切れた古びた電柱が立っていた。小さな港は周りが緑の山で囲まれ、当時もそうだったようにクマゼミが騒がしく鳴いていた。検査所や検疫所があったであろう空き地が残っている。誰もいない桟橋に立って緑の山を眺めると、「懐かしの祖国の緑」が目の前に迫ってきた。そして今にも、父が重い荷物を背負って上陸してくる姿が目に浮かんだ。

私の時代は、家族の心配なんか全くなく、みんな自分の人生を謳歌(おうか)した。戦争という時代に翻弄された父は、家族との日々を取り戻すことが全てだったのだろう。ここでもまた父の姿が蘇ってきた。


和泉康男(72) 兵庫県西宮市

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