米オレゴン州ユージンで開かれていた陸上の世界選手権(世界陸上)が終了しました。日本人選手にとっては史上初のメダル、入賞など、多くの新しい歴史が刻まれた大会となりました。しかし残念ながら、私の専門種目でもあった三段跳びでは今回、日本人選手の派遣はありませんでした。男子に限ると、跳躍4種目(走り幅跳び、三段跳び、走り高跳び、棒高跳び)のうち、三段跳びだけです。
三段跳びはかつて「三段跳び日本」とも呼ばれた日本のお家芸でした。1928年アムステルダム五輪で織田幹雄氏が優勝し、日本人初のオリンピック金メダルを獲得すると、3大会連続で日本勢が金メダルを獲得しています。しかし60年頃から、日本の三段跳びは世界の一線から消えてしまいます。今こそこの種目がなぜ「三段跳び」という名前を持つのか、意味を考える必要があるのではないか、と私は考えています。
三段跳びを簡単に説明すると、3回連続で踏み切り、合計距離を競う種目です。現役時代には海外選手の跳躍動画を参考にして、力感なくやや低めに踏み切り、スムーズに流れていくように跳ぶと良いと考えていました。同様の跳躍を追い求めていた(いる)選手や指導者も多いのではないかと思います。しかし、初めて世界の三段跳びを肉眼で見たとき、驚愕(きょうがく)しました。
2012年、大学の同級生と2人でロンドンへ渡り、何とか手に入れたチケットでロンドン五輪を視察(観戦)しました。ピットからは遠い席でしたが「力感のない流れるような三段跳び」のヒントが見つかるのではないかと期待していました。しかし予想に反して、世界トップ選手の三段跳びには、この上ない力強さと跳躍の高さがあったのです。テレビなどの競技映像の場合、カメラが選手を追いかけるため、水平方向へ流れていくような跳躍に感じてしまう場合があります。私もその罠(わな)にはまっていました。今回の世界陸上でも同様で、注意深く映像を見てみると、世界のトップ選手はやはり、力強く踏み切り、高さを獲得しながら跳んでいるのです。
「三段跳び」という和名は、織田氏が名付けました。当時、跳躍種目の和名は、「ランニング・ブロード・ジャンプ」=「走り幅跳び」など、英語名の直訳が多かった中、「ホップ・ステップ・ジャンプ」と呼ばれたこの種目を織田氏は「三段跳び」と名付けました。そこに織田氏は力強さを表現したそうです。
「三段跳び」という名前にこそ、「三段跳び日本」復活の糸口があるのではないでしょうか。力強く三段跳ぶ「三段跳び」、その名前に込められた思いを受け継いでいきたいと思っています。
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岡部優真(おかべ・ゆうま)1990年生まれ、福岡県出身。学生・実業団を通して、三段跳び国内主要大会の全てで優勝し、日本代表の経験を持つ。びわこ成蹊スポーツ大学コーチングコース講師。同大学陸上競技部副部長(跳躍・混成コーチ)。
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スポーツによって未来がどう変わるのかをテーマに、びわこ成蹊スポーツ大学の教員らがリレー形式でコラムを執筆します。毎月第1金曜日予定。